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東大卒の住友商事マンが28歳で起業して「フリーランス」になった理由

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そして開いた「ケニアのバラ」の扉

商社

――そうやって開かれた扉のひとつが「ケニアのバラ」だったのですか?

小林:そうです、そうです。水産業の商材としてナイルパーチという魚をアフリカから仕入れていました。そんな縁もあり、アフリカの政商に「ナミビア砂漠で灌漑(かんがい)農業の事業ができないか」と相談されたのが発端です。

 といっても、僕には砂漠の灌漑農業に関する知識なんてありません。ヒントを得ようと、東京ビッグサイトの「農業フェア」に足を運んだところ、目に留まったのが会場の片隅で咲く「ケニアのバラ」だったのです。

 最初は「なんでケニアでバラなんだ?」と思ったのですが、調べてみると、ケニアは世界でも有数のバラの産地でした。ヨーロッパではケニアのバラといえば大輪で高品質という評価でした。

 当時、日本の市場では、ケニアのバラは小ぶりでリーズナブルなものという売られ方をしていました。しかし、ヨーロッパでは、大ぶりで複色のバラがそれなりの値段で売られていました。

 日本でも、「ケニアといえば大輪で複色の高品質なバラ」というブランディングをしたらどうだろうと思いました。大きなビジネスチャンスになるという確信がありました。そして、すぐケニアへと飛んだのです。

<取材・文/楠 涼>

【小林邦宏】
東京大学卒業後、住友商事株式会社の情報産業部門に入るも、28歳で商社を起業。南米、アフリカ、東欧、中近東など「人が行きたがらない場所」に行って、知られていないニッチな商材を見つけ、取引する「フリーランス商社マン」に。メディア出演やラジオ局のゲストコメンテーター、講演業など、幅広く活躍中
Twitter:@kunikobagp

大手代理店系プロダクションにコピーライターとして勤務後、「宣伝会議賞」入選を機に独立。フリーランスのコピーライターとして化粧品やアパレルなどの広告制作を手がける他、女性誌・男性誌・旅行誌などのグルメ・温泉ページの取材・ライティングを担当。現在は、主にWebライターとして活動

なぜ僕は「ケニアのバラ」を輸入したのか?

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東大⇒財閥系商社というキャリアを投げ捨て、世界を旅しながら自由に働く道を選んだ「フリーランス商社マン」の生き方

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