夫が墜落事故死。専業主婦からフジテレビ管理職になった私が「若者に伝えたいこと」
「入江くんの乗ったチャーター機が墜落しました」。1本の電話で、私の人生は大きく変わりました。1994年12月6日、フジテレビの報道記者でカイロ支局長だった夫が、取材中に乗っていた小型飛行機の墜落事故で亡くなったのです。
幼い2人の息子たちの手を引き、赴任先のエジプト・カイロから帰国した私が、悲しみに暮れながらも始めたことは職探しでした。そこからフジテレビの契約社員となり、最終的には管理職となって会社でのキャリアを終えました。フルタイムで働きながら育ててきた2人の息子も社会人になった今、若手ビジネスマンに伝えたいことが3つあります。
夫の死をきっかけに仕事をスタート
私が結婚したのは、女性を12月25日なると値下げされるクリスマスケーキに例えて「25歳過ぎると売れ残り」なんて平気で言われていた時代。結婚後は家庭に入るのが当たり前で、私も24歳で結婚し、26歳で長男を授かったことで仕事をやめていたのです。
夫の死後、仕事を探していたところ、大学時代にお天気お姉さんを務めていた縁もあって、フジテレビから契約社員として声をかけていただきました。
当時、長男は小学1年生、次男は1歳。「週に2~3日で」と言われたのに、週5日勤務を選んだのは、「息子たちを育てていくためには、私が社会とつながっていることが大切だ」と強く思ったからです。
共働き世帯が増え、結婚、出産後も女性が仕事を続けることは、特別なことではなくなりつつあります。とはいえ、なかには仕事も子育ても中途半端になってしまうことに悩んでいる人も多いのではないでしょうか?
フジテレビ社員になって抱いた劣等感
仕事と家庭のバランスを考えると、キャリアアップには二の足を踏んでしまう女性も多く、私はとても残念に思っています。忙しい毎日の中で仕事の結果を出しながら、子どもとしっかり向き合うことはできます。それに、これからの時代は、キャリアの捉え方も今まで通りでなくてもいいのではないでしょうか。
フジテレビでは、まず、海外のコーディネートを行う国際局の役員秘書として、1年半休むことなく一生懸命働きました。
契約社員としての入社は、正直、殉職した社員の遺族への配慮という面もあったと思うんです。でも、そこから正社員に推薦してもらえたのは、仕事への姿勢を評価してもらえたからじゃないかな、と。やはり契約社員から社員にしていただいたので、劣等感があった分、期待に応えたいという気持ちも強かったんですよね。
試験を受け、正社員として入社したのは34歳の時。一緒に入社した社員はひとまわりも下でしたけど、その後は主任、副部長、部長職と昇進して、同年代の社員に追いついていったんです。