20代で借金50億円を抱え、開き直った。ばんからラーメン“独自の経営戦略”
自らインカムをつけ、呼び込み命に
1999年2月、池袋の好立地にばんからラーメンを出店することに成功した。ここからどうやって上昇気流に乗せていったのだろうか。「とにかく呼び込みを意識した」と語る草野氏は当時、工夫したことについてこう説明する。
「お店をオープンしてもお客さんは気づかない。だったら、とにかく宣伝してお店に来てもらおうと考えたんです。大きい看板を立てて目につくようにしたり、お店への呼び込みを積極的にしたり。自身で呼び込みをしていました」
無名のラーメン屋を切り盛りするために、草野社長自ら調理からスタッフの教育まで全てをこなし、お店を運営したという。
「自らインカムをつけてラーメンを作りながら、呼び込みもしていましたね。意識したのは“全てをシンプルに、誰がやっても引き継げる”仕組みを作ること。ラーメンを作るオペレーションや接客方法、食材の受発注など店舗運営に必要なことは全てマニュアル化し、誰にでも店舗を回すことができるよう心がけました。初めからFC店舗展開を見据えていたから“池袋本店”という店名にしたんです(笑)」
一度、経営破綻させている以上、もう借金はできない。50億円の借金を返済するため、背水の陣で臨んでいた。誰が作ってもばんからラーメンが美味しいのは、直営店を出す資金繰りが当時は難しく、FC展開をせざるを得なかったため、マニュアル作りを徹底したからだ。
常に味を探求し続けるのが“ばんから流”
ばんから独自の超濃厚スープや、角煮を乗せたとんこつラーメンは目玉メニューとなり、お店は軌道に乗り始めた。4年間で16店舗に広げることに成功。現在は国内外合わせて39店舗を展開するまでに成長し、タイのバンコクでは人気No.1のラーメン店として親しまれているという。
その理由について草野社長は「日本で出しているばんからラーメンの味の再現性にこだわり、本場と限りなく近い味を食べてもらうことができるから」と話す。
「常に美味しい味を探求し、磨き続けるのが、ばんからのラーメンだと思っています。実は当時の味と今では全然違うんですよ。もっと言えば、レンゲと丼の下に敷くお皿以外、全て変わっている。味を変えずに伝統を守ることも大切ですが、ずっと同じだとお客様は飽きちゃう。だったら、変化を受け入れ、どんどん新しくしていこうと。そういったポリシーでやってきました」
豚骨醤油ベースのばんからラーメンがある程度認知されると、今度は味噌ラーメン特化型の「旭川味噌ばんから」の展開を始める。くるまやラーメンと同じ味噌業者を使用していたが、本格的に自家製味噌を作ろうと、旭川にある味噌醸造の会社に協力してもらい、6年かけて「ばんからオリジナルの味噌」を完成させたという。
「商品作るのが本当に好きなんですよね。今は40種類くらい商品があるので、好みに合わせて選べるようになっています。おすすめは豚骨好きなら『角煮 極ばんから』、味噌好きなら『ぶたみそ』。味のベクトルを一緒にしていて、あえてジャンルに偏りを持たせることで、またお店に来てもらえるよう工夫しています」