人工知能の暴走を描く、入江悠監督「研究者は優しい人が多かった」
20代は「本当に何もしてなかった」
――20代の頃はショートムービーや自主映画を撮られていたそうですが、『SR サイタマノラッパー』で評価されるまで、どんな意識で過ごされていたのですか?
入江:20代のときは本当に何もしてなかったです。会社に勤めたこともありますが、すぐに辞めちゃって、そのあとはフリーターでした。10代の終わりで僕は映画の世界で生きていくんだと決めたのですが、20代のときにはなかなか映画を撮れるチャンスがなかった。ただ映画の世界で生きていくんだという気持ちはそのままでした。
――「30歳が近づいてきた。ヤバイ」といった気持ちはなかったのでしょうか。
入江:ありましたよ。ただ、それまでの間ずっと、映画作りの糧になるものにしか触れていませんでした。
本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、30歳で監督になれていなかったら辞めようと思ってはいましたが、就職活動のために何かをしたことは一切なかったんです。
悶々と吸収だけしてきたのが良かった
入江:今の時代は20代前半で商業デビューする監督も増えていますが、僕自身は20代の頃、デビューできずに悶々と吸収だけしてきたのが良かったと思っています。
そのストックがあるから今、脚本を書くことができている。もし、やりたいことが見つかっているなら、そのことだけ求めていると、いつかチャンスは回ってくると僕は思います。
――逆にいうと、チャンスが来たときに掴める蓄積がないとダメですね。
入江:蓄積がないと、そのときに発揮できませんからね。20代は、何も生産的なことができていなくてもいいと思いますよ。ひたすらインプットだけ。それが花開く瞬間はいつか来ます。
<取材・文・撮影/望月ふみ>