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33歳・元広告マンが会社を辞めて、フェスで食べていくことを決めた理由

暮らし

グラストンベリーの翌日「会社を辞めよう」

――そこからどうして勤務先を退職することになったんですか?

津田:今振り返ってみると、当時のことはあんまり覚えていないんです。ただ、グラストンベリーでローリング・ストーンズのライブを見た翌日に、ふと「会社を辞めよう」と思ったんですよね。帰国してすぐにコンビニで封筒を書い、飛行機の中で考えた文面と一緒に勤務先へ退職届を出して、そのままイギリスへ移住しました。

 ちょうど移住のタイミングで日本のフェスを取り扱う「Festival Life」に関しては運営から離れました。今度は世界のフェスをテーマにした活動をしたくて、現地で仲間を募りながら世界中のフェスを巡るプロジェクト「Festival Junkie」を立ち上げました。今でこそアジアやアメリカにも足を運んでいますが、当時ヨーロッパのフェスを渡り歩いてフェス情報を発信をしていました。

――世界中のフェスに参加する中で、見えてきたことはありますか?

津田:そんな活動を続けているうちに、ひとつ見えてきたのがフェスが「文化体験装置」として機能しているということでした。日本の音楽フェスよりももっと、そこに生きている人々の暮らしに根付いているというか。日本でいうところの祭りとか、昔からある花火大会に近いような何か。

 そもそもは自分なりの「グラストンベリーで受けた衝撃をたくさんのフェスに参加することで少しずつ解明していこう」という試みだったのですが、さまざまなフェスを味わうことで、人が集まることの意味みたいなものを再確認できました。

 人がたくさん集まる場所で、何か行動を起こす、例えば、今年のグラストンベリーでみられたプラスチックフリー運動(プラスチックゴミが引き起こす環境汚染に配慮した、脱プラスチック運動)のように、その時々で起きている社会問題に触れることができる面白さにも気が付いたんですよね。そうしているうちに、いつからか日本の雑誌やラジオなどからも声がかかり始めるようになって。そのタイミングで一度帰国して、もともと関わっていた「Festival Life」の運営を譲ってもらって、すべてゼロからもう一度スタートして、現在に至ります。

中学時代から「フジロック」に憧れを抱いていた

津田昌太朗

フェスは「社会と密接に関わっている空間」だと持論を述べる津田さん

――ここまで直近の経歴を伺ってきたのですが、そもそもどういった理由で音楽に傾倒していったのでしょうか?

津田:中学生の頃に、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどで育った父親の影響を受けて洋楽が好きになりました。中学校へ入学した頃だったかな。父親が手書きで「デビッド・ボウイ」とか「プリンス」とかを羅列したメモを手渡してくれて、そのままレンタルビデオ屋にCDを借りに行ったんですよね。

 当時は振り返ると、まさに中二病というか、周りが流行りの音楽だけを聴いてるのをはた目で見ながら「なんでこんなにカッコいい音楽をみんなは聞かないんだ!」と思っていました(笑)。そんなときに洋楽雑誌を見てフジロックの存在を知り、初めは「変な名前だな」と思って。でも、出演アーティストを見たら「レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン」とか「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」の名前が並んでいて、その頃からフェスに強く憧れを持つようになった気がします。

――とはいえ、中学生だと参加しづらいと思いますが、初めてフェスに足を運んだのはいつだったのでしょうか?

津田:10代で大阪のサマーソニックを体験して、次はフジロック! と意気込んでいたのですが、関西在住だったので、開催地だった新潟県に向かうのはけっこうハードルが高くて、高校時代まではなかなか行けなかったんですよね。だから、初めて参加したのは大学生になってからでした。

 じつは、上京したのも「フジロックはもちろん、たくさんの音楽イベントに参加するにためには東京に近づきたい」という思いから選んだんですよね。入学してからは、音楽好きな友だちが周りにいたらイベントやフェスに行きやすい環境になると思って、レコード店でアルバイトをするようになって。でも、下っ端だとなかなか休みが取れず、フジロック開催期間中にその年のヘッドライナーのベックが来店して「何でオレはフジロックに出演するアーティストを接客しなければいけないのか」と涙したこともありました(笑)。

――大学に入ってからすぐに参加できたわけではなかったんですね。

津田:その翌年ですね、ようやく行けたのは。とはいえ、初めのうちは「アウトドアなんて……」と思っていたんですよ。今思えばちょっとナメていたというか、街中と同じ格好のまま、現地で宿も取っていないからホームセンターで適当に買ったテントを持ち込んで初参加同士の友だちと参加しました。

 テントの建て方もよくわかっていなかったので、雨でテントが流される経験もして、車で寝てたらエンストして、観たいアーティストも見逃して……みたいな。終わってすぐは「二度と行くか」と思ったのに、翌週には“フジロス”に陥っていました。そこからだんだんとフェスを基準に「一年をどう過ごそう」と考えるようになりました。

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