接待での失敗に学んだ夜…ギンギラギンで“さり気なくなかった”役員<常見陽平>
同僚よりも一歩リードしたいけど、会社の奴隷にはなりたくない! そんな若手サラリーマンに、自称「若き老害」にして働き方評論家・常見陽平氏が、会社で“ほどほど”にうまくやっていく方法を伝授。第4回は、ビジネスの場で「失敗」をしてしまったとき……。
思えば数々の失敗をしてきた会社員時代
「社長が謝罪に同行しなければならないような、大きな失敗をするくらいの勢いで働いてほしい」。
社会人になりたての頃、先輩の一人にこんなことを言われた。彼はのちに、執行役員になった。以前、大手企業の入社式で社長がどのようなスピーチをしたのかを調査したことがある。
「創造的破壊を」「既成概念を突き破れ」「失敗をおそれずにチャレンジを」と、若者を鼓舞する発言をする。しかし、本当に失敗を許容してくれる企業はどれだけあるだろうか。いや、あるまい。
企業で人事をしていたころ、会社案内で経営陣の1人が「出る杭は、のばす会社です!」と宣言していたのを見て、部長クラスの社員が「いや、けっこう、叩いていると思うけどな」とボヤいていたのが忘れられない。というわけで、今回も編集担当の赤地さんのリクエストで「失敗」について語ることにする。
思えば数々の失敗をしてきた。会社員時代も、著者になってからもだ。少し前に亡くなった森田童子さんの『ぼくたちの失敗』を爆音で聴きたい気分になるほどである。かわいい失敗から大失敗、さらには挽回した話まで、いくつかの私のエピソードをお伝えしよう。
凡ミスの連続で、地獄の日々だった若手時代
「ミス・ユニバース」とは、私のことである。そう、若手時代はミスだらけだった。ミスがミスを呼ぶ。だんだん精神的にも体力的にも参るので、次なるミスが誘発される。そんな繰り返しだった。
社名の前株と後株を間違える、応接間で座る場所を間違える、敬語のミスなどは一通りやった。お礼状の書き方をめぐって先輩から激怒されたことがある。気持ちが伝わらない、商談につながる要素がないなどである。
別の先輩から、顧客の心に響くお礼状文例集なる裏マニュアルをゲット。もっとも、それは求人系の部署が、山っ気のあるワンマン経営者を口説くために使う文例集で、今思うと檄文調だった。
「このままでは、引き下がれない」「○○社長を、男にしたい。貴社を、日本を代表する企業にしたい」「男、○○の営業をもう一度見てほしい」など、いま振り返ると赤面するレベルのものだった。
担当者レベルで商談がポシャった企業があった。その企業の社長宛に、この文章を真似した「もう一度、営業させてくれ」という手紙を送った。数日後、同社の取締役から直々にご連絡を頂いた。商談にはならなかった。お叱りの声をいただいたのだった。突然、何をやっているのか、と。たまたま、大学の同窓だとわかり、その瞬間、優しくなったのだが。