S・ジョブズが「生涯の師」と仰いだ日本人僧侶の“破天荒な”正体
iPhone、iMacなどの革新的な商品を生み出したアップル。その創業者スティーブ・ジョブズが、若く無名だった頃に禅を知り、生涯坐禅を組んでいた。あるいは、アップル製品には禅の精神がつまっている。こうしたジョブズと禅をめぐるエピソードを知っている人は多いだろうが、彼が「生涯の師」とまで仰いだ日本人僧侶がいたことを知っている人は稀だろう。
その人の名は、乙川(旧姓・知野)弘文(おとがわこうぶん)。新潟県の寺に生まれ、京都大学大学院を修了後、曹洞宗の大本山、永平寺で修行。29歳で渡米すると、カリフォルニアで北米初の本格的禅道場の開創に協力し、その後は欧米各地で禅の教えを広めた。
一方、私生活では結婚・離婚・再婚やアルコール依存症など、多くのトラブルを抱えた。そして、2002年、滞在先のスイスで娘とともに溺死、悲劇的な最期を迎える。
そんな乙川弘文の波乱の生涯を追った初の評伝『宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧』(集英社インターナショナル)が発売即重版が決まるなど話題だ。著者の柳田由紀子氏は、元新潮社の編集者で、現在はロサンゼルス在住のノンフィクション・ライター。新型コロナウイルスの影響で外出禁止制限が続く現地と、Skype回線を介してインタビューを実施した。
坐禅は「人類が忘れた能力」
――どうして乙川弘文の評伝を書くことになったのでしょうか。
柳田由紀子(以下、柳田):はじまりは2012年の年初、スティーブ・ジョブズが亡くなった直後。アメリカの老舗出版社、フォーブスから『THE ZEN of STEVE JOBS』という本が緊急出版され(翌月『ゼン(禅)・オブ・スティーブ・ジョブズ』として、集英社インターナショナルより刊行)、一躍、乙川弘文に世界の注目が集まりました。私は、この本の翻訳を依頼され弘文を知りました。
弘文は、私が今住むカリフォルニアを拠点に活動し、生前には、シリコンバレーの奥座敷、ロスガトス市に慈光寺という禅寺を創建しています。翻訳にあたり、同寺のウェブサイトをのぞいたところ、弘文の法話記録が掲載されていて魅力的なフレーズがいくつもあったんですね。たとえば、坐禅について弘文は、「人類が忘れた能力」と語っているのですが、その言葉はこう続きます。
<私たちの生存が常に危機に晒されていた太古、人類の主な活動は坐禅でした。あらゆる危険な動物たちや、毒のある食物、これらに囲まれた環境で自分の立ち位置を定めるために、私たちの祖先は、身体の全器官や感覚を“静”に保つ必要があったのです>(本書より、原文は英語)
弘文の話には難しい哲学用語も出てきますが、とっても詩的で文学的な表現に惹かれました。実は弘文は、京大大学院時代に、西洋哲学と比較する中で仏教研究に勤しんだ人。説法にも、仏教を解説する文脈で、「それは、プラトンの『洞窟の比喩』と同じことなのです」などというセリフが、ポロッと出てきたりする。このような言葉を紡ぐ禅僧とはどんな人なのだろうと、興味を持ったのです。
取材8年。腹違いの子供も5人
――本書の取材は8年も前に始まっています。なぜそれほどまで時間がかかったのか、取材・執筆に際して最も困難だった点を教えて下さい。
柳田:新潟出身の弘文ですが、日本だけでも、大学は東京の駒澤大学、大学院は京都、永平寺は福井県と各地に足跡を残しました。そして渡米後は、カリフォルニア州のほか、ニューメキシコ州、コロラド州、さらに後年は、スイス、オーストリア、ドイツと、ヨーロッパ各地でも禅を布教しています。結婚も実質3回、腹違いの子どもたちだって5人もいた(笑)。そのため、尋ね歩くべき地や、お逢いすべき人が多かったんです。
また、アップルはひじょうに広報に配慮する、いわば脇が固い会社。弘文とジョブズの関係について、現役社員や、当時を知る元社員にお話をうかがうのは、なかなか困難で事が簡単には運びませんでした。
それから、正直言うと、私自身が弘文の真価を見つけるのに長い時間がかかってしまった。弘文は、人からよく「ふわっとした雲のような人」と形容されるのですが、実際に彼の生涯をたどり始めると、まさに「雲」。流れるような生き方に、意志が希薄なのでは? と感じたこともありました。
なぜ、こういうお坊さんを、ジョブズは「生涯の師」と慕ったのだろうかと、考え込んでしまったり。最終的に私は、流れる生き方の背後にある弘文の強い魂に出逢うのですが、そこにいたるまでに長い歳月を要してしまいました。