33歳・元広告マンが会社を辞めて、フェスで食べていくことを決めた理由
近年、ライブ産業が盛り上がりをみせる音楽業界では、多数のアーティストが一同に介する“フェス”形式での公演も成長を遂げています。
ぴあ総研が2019年6月に公表したデータによれば、2018年におけるフェスの市場規模は前年比3.9%増の294億円。動員数も10年前との比較で約1.7倍に及ぶ272万人となり、音楽業界の一翼を担う存在として定着してきました。
世界を見渡せばよりたくさんのフェスが開催されていますが、日本最大のフェス情報サイト「Festival Life」の運営を手がける、シャーロット株式会社の代表取締役・津田昌太朗さん(33)は幾多の現場を味わってきた一人。なぜ、フェスを狂うほどに愛するようになったのか。これまでの人生を語ってもらいました。
かつては“副業”としてフェスの魅力を伝えていた
――肩書きに「フェスジャーナリスト」とありますが、現在はどういった活動をされているのでしょうか?
津田昌太朗(以下、津田):事務所(ワタナベエンターテインメント)に所属したときに担当者が付けてくれたものの、ジャーナリストというと堅い感じもするので自分からは名乗ることはないのですが、やっていることとしては、日本国内はもちろん、世界中のフェスに行って、そこで得た情報を発信しています。
単なる音楽イベントでなく、社会の中でどうフェスという存在が機能しているのかという意識しながら取材しています。海外フェスの情報は『THE WORLD FESTIVAL GUIDE』という海外フェス情報に特化した書籍を今年出版して、日本のフェスに関しては、「Festival Life」というフェス専門の情報サイトを運営しています。
――サイト自体は、津田さんが立ち上げたものなんでしょうか?
津田:いえ、もともとは別の方が立ち上げたブログメディアで、僕が携わり始めたのは10年ほど前でした。当初は、有志として集まったライターやカメラマンが、ボランティアで運営していたんです。僕も当時は広告会社でサラリーマンとして働きながら関わっていました。
そのメンバーの中でも圧倒的にフェスに通っていたので、関わってすぐのタイミングで「編集長をやってもらえる?」と打診されました。そこからブログメディアではなく、ちゃんとしたメディアとして評価してもらえるよう、少しずつ組織体系を見直していきました。サイトが成長するにつれて勤務先の広告会社から「メディアとして何か一緒にやれませんか?」と電話がかかってきて、「じつは僕、社員なんです……」と返したときもありました(笑)。
「グラストンベリー・フェスティバル」の衝撃
――会社員とサイト運営。しばらくは二足のわらじを履きながらも、その後、海外のフェスへ参加したのをきっかけに退職されたそうですね。
津田:そうですね。2013年にイギリスの「グラストンベリー・フェスティバル(以下、グラストンベリー)」へ参加しました。その頃は「日本のフェスには行ける限り行ったし、海外のフェスも味わってみたい」という思いがありました。グラストンベリーは「フジロックフェスティバル(フジロック)」のもとになったのも知っていたので、いつか行ってみたい憧れのフェスティバルでした。
――憧れのグラストンベリーに参加した経緯は?
津田:参加できたのはいくつもの奇跡が重なったというか。グラストンベリーにはもともと、サラリーマンとしてお金を貯めて、死ぬまでに行ってみたいくらいの気持ちで。そんな漠然とした思いだったので、なかなかきっかけがなかったんですけど、たまたまその年にかねてから「いつか彼らの地元イングランドでライブ見たい」と思っていたローリング・ストーンズが、50周年記念のタイミングで出演することになったんですよ。
とはいえ、世界中から音楽ファンが集まるのでチケットの争奪戦も必死なんですけど、レアなチケットをたまたま友だちが取ってくれて、偶然に偶然が重なり実際に現地で目にすることができました。