家業を継ぐという決断「アメリカ留学で気づいた日本の魅力」29歳屏風職人
東京スカイツリーのふもと、路地を抜けた少し先にある老舗の屏風店。1946年に創業した片岡屏風店(東京都墨田区向島)は、雛飾りに使われる屏風や、着物などの故人の思い出を形にして残せる「オーダー屏風」などを取り扱っている店舗です。
日本の伝統を守り続けるこの家業を、3代目として継ぐ決断をした片岡孝斗さん(29歳)。その背景にはいったいどのような思いがあったのでしょうか。本人に話を聞きました。
アメリカ留学で気づいた日本ならではの伝統文化の魅力
――大学を卒業後、アメリカへの留学を経て家業を継ぐ決断をしたといいますが、まずはその経緯からお聞かせください。
片岡孝斗(以下、片岡):2011年に大学を卒業後、10月からボストンへ約1年間の留学をしました。本当は卒業してすぐに向かう予定だったのですが、東日本大震災の影響があったので時期を延期することになってしまったんです。翌年の10月に帰国して、屏風店の正社員として入社し現在に至ります。
――もともと家業を継ぐという意思は幼い頃からあったんですか?
片岡:子どもの頃からあったわけではなかったですね。もともと僕は杉並区高円寺の生まれなんです。墨田区に引っ越してきたのは、本当に家業を継ぐことになってから。もちろん子どもの頃もおじいちゃん家へ行く感覚で屏風店には足を運んでいて、家業を間近で見ていたし、職人さんたちも顔見知りだったけど、小さいときからはっきりとした意思があるわけではありませんでした。
――そこから年月が過ぎ、実際にはいつ頃から家業を意識するようになったんですか?
片岡:中学から高校にかけての春休みに、1か月間だけアメリカへ留学したのが大きかったかもしれません。当時、現地では語学学校へ通っていたのですが、いろいろな国の人たちから日本のことを尋ねられても、答えられない自分がいたんです。
ほかの国の友だちは、政治的な話題から文化的な話題まで何でも誇らしげに語っていたのに、日本ならではの特徴をいまいち伝えられなかった。それについてどこか悔しさも感じていたんですが、帰国してからふと目の前をみると「あれ、屏風も日本ならではの伝統じゃないか」と気が付きました。
――幼い頃から当たり前にあった家業を、アメリカへ渡ったことで再認識できたというのは面白い体験ですね。そこからさらに、はっきりと家業を継ぎたいと意思を示したのはいつ頃だったんですか?
片岡:大学3年生のときです。正月に家族が集まっている場で、社長である父に「家業を継ぎたい」と宣言しました。大学卒業後の留学も「家業を継ぐかわりに留学をさせてもらいたい」という意志があった上でのことだったんです。
――そして、帰国後にいよいよ本格的に家業に従事するようになったわけですね。職人として、初めはどんなところからスタートしたのでしょうか?
片岡:初めの頃は、台湾のデパートで日本のモノを販売する催事があり、そこで屏風をPRするような仕事をしていましたね。2年目の2013年5月からは、昔からお世話になっている新潟県の協力工場へ1年間、修行にも行きました。
今は父が2代目として経営しているのですが、そこの会社とは創業者である祖父の代から付き合いがあったんです。高齢の職人さんたちに囲まれながら、木を削る木工や実際に屏風として貼る表装など、屏風づくりに必要な技術を学びました。