門脇麦、“死ぬかもしれない”大病を患って見えた「発想の転換」
役に対して恥ずかしくない演技をしたい
――私(筆者)が門脇さんを最初に取材させていただいたのは『愛の渦』でした。そのときから、同世代の女優さんとは違うチャレンジングな姿勢を貫かれています。模索というお話がありましたが、では、こういうところはブレないようにしたいといった軸はありますか?
門脇:役に対して恥ずかしさが残らないようにはしたいと思っています。演技はフィクションなので……。言葉も自分の言葉じゃない。特にめぐみさんのように実在した方をやると、分かりやすく感じるのですが、雑に言ってしまえば、演技ってその役のふりをしているとも言えます。
それって恥ずかしいというか、申し訳なさというか。私はこの時代を生きていないし、これだけ自分の人生にがむしゃらに生きた時間がない。恥ずかしさとおこがましさを感じます。でも、めぐみさんになっているその時間だけは、そうした気持ちがよぎらないくらいの想いで作品に向かいたいんです。
――全身全霊で作品と役に向かう。
門脇:役に失礼のないように。どこかから見ているかもしれないめぐみさんに喜んでいただけるように。今回は実在した方の役ですがフィクションの役でも関係なく、私は、その役にいつもどこかで見られているような感じがするんです。
もしその役の方とお会いしたとき、「わたし、あなたの役を演じさせていただいた者です!」と胸を張って言えるようにと思っています。
20代前半、大病を経験して気づいた「発想の転換」
――現在、26歳ですが、3年ほど前に、のどの手術をされるという大変な経験をされました。そうしたことは、今の自分に影響を与えていますか?
門脇:影響はすごくありますね。私ももがいていたという話をしましたが、のどの病気をしたときに、忙しさに追われて、楽しくやるという感覚を自分の中で見失ってしまったんです。
でも病気になって、「死ぬかもしれない」というところまで行って、楽しく生きなきゃもったいないと思ったときに、ふと、視点を変えれば楽しむ方法がいくらでもあることに気づきました。
――視点を変えたことで、感じ方に変化があったと。
門脇:特に若いころは、「自分はもっとここじゃない場所にいるはずなのにどうして現実はこうなんだろう」といった思いを抱えることが多いと思います。それって自分のことを高く見積もっているからなんですよね。
自分の能力を目の当たりにしていないときは、理想を高く抱いてしまうものなんだと気づいてから気持ちがふっと軽くなったんです。病気をしなかったにしても、いずれは気づいたかもしれないですが、早めに気づくきっかけにはなったのかなと思います。
――そうした経験もされて、作品も重ねて、今後、こうしたジャンル、役に挑戦したいといった希望はありますか?
門脇:そういうのはないです。でも、無欲の意味で“ない”ということではなくて、いろんなことをやりたいんです。ありとあらゆることをやりたい。
リアルに若者が躍動している“キラキラ映画”
――30代以降も楽しみですか?
門脇:楽しみです。結局、演技の幅って人の幅なのではないかと思っていて。なので30歳になったら、どんな自分になっているのかなと、すごく楽しみです。
――ちなみに、実生活でハマっていることはありますか?
門脇:実は農作物のゲームにはまってます。これまでゲームってあまりやったことがなかったんですけど、いい気分転換になってます。舞台の共演者の方に、「まとまった休みがなくて、旅行に行けてないんです」というお話をしていたら、そのゲームを極めている方が、「あなたもやりなさい。これにトリップしなさい」とおっしゃって。BGMものほほんとしていて癒されるし、確かにすごくトリップできています(笑)。
――意外な素顔が覗けて、嬉しいです。最後に、公開へのメッセージをお願いします。
門脇:映画作りのお話で、なおかつ若松監督のお話と聞くと、敷居が高く感じられるかもしれません。でも、私も若松さんを知らずにこの映画作りに飛び込みましたし、主人公のめぐみさんも何も知らずに若松プロに飛び込んだ女の子です。今の時代でも、どの時代でも共感出来る想いが詰まっている作品になっていると思います。
私は、この作品を“キラキラ映画”だと思ってます。こんなに若者が躍動的で刹那的な映画って、最近あんまり観ていなかったなって。この映画を観て、しゃかりきに生きることってかっこいいなとか、自分もちょっとがむしゃらに生きてみたいな、泥臭く生きてみたいななんて思っていただけたら最高に幸せです。
<取材・文/望月ふみ 撮影/藤井洋平 メイク/石川奈緒記 スタイリスト/岡本純子>
『止められるか、俺たちを』は全国順次上映中
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