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売上高2兆円!三菱、住友を遥かにしのぐ「大手化学メーカー」の“稼ぐ力”

ビジネス

“一発逆転”のヘルスケアではなく…

 それでも医薬品の開発が成功すると高利益のビジネスが展開できるため、継続的に研究を続けているのです。これで成功したのが富士フイルムでした。また、化学メーカーは他の事業で赤字が補填できるため、大した痛手ではないというのもあります。

 しかし、信越化学工業には医薬品部門がありません。薄く広く事業を展開するのではなく、汎用化学品や電子材料に特化した事業を展開し、高シェアを獲得することに力を入れています

「フル生産、全量販売」でシェア拡大

研究

画像はイメージです

 信越化学工業の前身は信越窒素肥料。当初は肥料メーカーでした。潮目を変えたのが、1973年7月のロビンテック社との合弁会社シンテックの立ち上げです。ロビンテックはアメリカ最大の塩ビパイプメーカーでした。シンテックの当時の生産能力は10万トンで、アメリカの塩ビメーカーの中では21社中13位でした。中規模メーカーです。

 1976年にロビンテックが資金繰りに窮したため、シンテックの株式を譲渡したいと申し出ました。当時、信越化学工業は業績不振で、この提案には慎重な声もありました。反対意見を押し切ったのが、海外事業本部長で後の社長となる金川千尋氏でした

 金川氏は「フル生産、全量販売」という方針を掲げ、工場をフル稼働させて徹底的に顧客を開拓し、それをやり遂げたことで有名。このエピソードは今や信越化学工業の伝説にもなっています。

 しかし、シェア拡大の背景として、シンテックが価格面で有利な立場にあったことは付け加えるべきでしょう

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