NHK「ウクライナ報道字幕」に専門家が疑問。視聴者が知るべき“街頭インタビュー”の問題
番組の思い通りの結論を出す方法
先ほどのウクライナ女性にしろ、街頭インタビューにしろ、市井の人の言っていることなら、「自分はその考えには賛成できない」とか、「その考えはおかしいのではないか」というふうに、反論する人はたくさんいる。たまたまテレビカメラにつかまっただけの素人が言っていることなのだから、それが正しいという保証などないことくらい誰だってわかるだろう。
ところが、「専門家」という肩書をもった人たちが出てきた場合には事情はかなり変わってくる。例えば、「新型コロナウイルスの3回目ワクチンを打ちますか?」みたいな質問に対する街の人の意見を聞いて、「打ちたい」と言う人と「打ちたくない」と言う人が半々だったとしても、スタジオでその映像を見ていた専門家が「3回目のワクチンは打つべきです」と言えば、もうそれが結論になってしまう。
つまり、望みの結論に確実に導いてくれる専門家を呼んでおけば、思いどおりの結論が出せるわけだ。ある番組に「おなじみの専門家」がいるとすれば、それは番組の思惑とその専門家の意見に乖離がない証拠なのである。
ねつ造してでも使いたい「専門家の言葉」
生放送の番組でなければ、「編集」という名のもとに専門家の意見をコントロールすることも簡単だ。ある専門家が「高齢者の場合は、やはり3回目も打ったほうがいいですね」という話をしたとしても、「高齢者の場合は」というところを切り取って、「やはり3回目も打ったほうがいいですね」という部分だけを放送すれば、違うメッセージを伝えることができる。
それが日常茶飯事だとまでは言わないが、ニュースというのは、そういう恣意的な操作ができるのだということを忘れてはいけない。もちろんこれはニュース番組だけの問題ではない。アナログ情報というのは伝わっていく途中で変化するからだ。人から人への伝言ゲームだって、伝える人の意識でいくらだって変わっていく。
受け手によって、情報の読み方も違ってくる。だから専門家の発言が、本人が思ってもみなかった方向にいつの間にか転がっていくことは珍しいことではない。