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縁起の良い初夢「一富士二鷹」、なぜ“茄子”が3番目に選ばれたのか

暮らし

三保半島の折戸ナス

茄子

 ナスはもともとインド原産の熱帯性作物で、日本では栽培が難しい。そのため、かつては高級野菜だった。ナスが高級品だったことを示す名残に、「瓜のつるに茄子はならぬ」という諺がある。これは、高級品のナスが安物の瓜のつるなどになるはずがないから、平凡な親からは優秀な子どもは生まれない、という意味である。ナスは英語で「エッグプラント」という。どうして、卵の植物と呼ばれるのだろうか。

 海外でナスを見ると、この理由は一目瞭然である。海外のナスは白色や緑色をしているものが多い。白いナスを見れば、卵にそっくりである。なるほど卵の植物だと納得できるだろう。ところが日本のナスには、「茄子紺」と呼ばれる紫色が多い。日本のナスに紫色が多い理由は必ずしも明確ではないが、日本では紫色は高貴な色である。高級な野菜であるナスは、やはり紫色のものが好まれたのではないだろうか。

 家康が愛したとされているナスは、三保半島の名産、折戸なすである。三保半島は、静岡市を流れる安倍川から流れ出た土砂が堆積して長く延びた半島である。砂が堆積した半島は作物を育てるのには不向きだったが、砂は日光を受けて温度が上がるので折戸なすの促成栽培には向いていた。そこで、江戸時代には一株一株手をかけて育てる折戸なすが盛んに作られたのである。

 この折戸なすは丸ナスで、賀茂なすによく似ている。家康の子で駿府城主から紀州徳川の開祖となった徳川頼宣は、駿河から紀州にナスの促成栽培技術を持ち込んだとされている。そして、紀州に持ち込まれた折戸なすがやがて紀州なすとなり、紀州から京都の上賀茂神社に奉納されて、賀茂なすになったのではないかと考えられているのだ。

 折戸なすは代々、将軍家に献上されていた。大政奉還をした十五代将軍・慶喜が明治時代に江戸から静岡へ移ったのちも、徳川家に贈呈されていたという。

門外不出だったワサビ栽培

 静岡市の山間地に「静岡のロストワールド」と呼ばれる集落がある。有東木というこの集落は、昔ながらの美しい山村の風景を残し、古くからの伝統芸能を今に伝えている。それが、有東木が「ロストワールド」と呼ばれている所以である。ロストワールドは「今は失われてしまった世界」という意味である。

 この有東木は、ワサビ栽培発祥の地として知られている。沢に自生していたワサビを湧水池に移植して、ワサビ栽培が始められたのである。ワサビは漢字で山葵と書くように、葉っぱが葵の御紋に似ている。そのため、家康は献上されたワサビを喜び、ワサビの栽培を門外不出の御法度としたのである。長い間、ワサビは有東木でのみ栽培されていた。

 しかし、1744(延享元)年、シイタケ栽培の指導に有東木を訪れた板垣勘四郎が、伊豆天城に帰郷する際のこと。恋仲になった有東木村の娘から、お礼としてひそかに弁当箱にわさび苗が入れられていた。それが伊豆に持ち帰られ、伊豆の天城でも栽培が始まったとされている。ワサビを門外不出とした家康の命令も、恋仲の若い二人には勝てなかったということだ。

徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか 家康のあっぱれな植物知識

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戦国から江戸時代、人々は身分を超えて皆、植物を愛でていた。大名の素晴らしい大庭園、市井の人が路地裏で育てる鉢植えの種類の多さには、江戸を訪れたヨーロッパ人も驚いている。戦国~江戸時代、植物を愛した武士たちの優れた知恵と技術を紹介する。

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