草食系?戦国武将はなぜ「玄米と味噌中心の食事」で戦い続けられたのか
戦国時代に活躍した「武将」と言われると、常に死と隣り合わせで、戦さと権力闘争に明け暮れているイメージだ。しかし、植物学者、稲垣栄洋氏は「戦国武将たちが植物を愛していた」と語る。戦国武将にとって植物を知ることは実利的な意味もあったのだ。
今回は、武将や武士たちと植物との知られざる関係に迫った、稲垣氏の著書『徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか』より「戦国武将はなぜ草食系の食事で戦い続けられたのか」にかかわるパートを一部抜粋、再構成してお届けする(以下、同書より抜粋)。
戦国武将はなぜ草食系の食事で戦い続けられた
戦国武将は、1日に玄米5合を食べていた。大正時代から昭和初期に活動した童話作家、宮沢賢治の詩、「雨ニモマケズ」には、「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」という一節がある。宮沢賢治のような修道者であれば、米と大豆と野菜でよいかもしれないが、戦国武将は野山を走り回り、戦わなければならない。
玄米と味噌を中心とした食事は、確かに栄養バランスは良いが、どんなに栄養が豊富といっても、所詮は米と大豆。肉や魚などの動物性たんぱく質がまるでない。もちろん、たまに魚をとって食べることはあったかもしれないが、魚を常に食べることは難しかった。
最近ではおとなしい男子を指す「草食系」という言葉があるが、戦国武将の食事内容はまったくの草食系だ。パワーの源である肉を食べずに、なぜ重い武具を身につけて戦うことができたのだろうか。世界を見回してみるとこんな例がある。パプア・ニューギニア人はバナナやタロイモなど植物しか食べないにもかかわらず、筋肉隆々だ。どうして肉を食べないのに、それほど筋肉質なのだろう。
200キロも走った江戸時代の飛脚
そこで、パプア・ニューギニアの人々の腸内細菌を調べたところ、窒素を固定する細菌が見られたという。つまり、肉を食べなくても空気中の窒素を取り込み、体内でたんぱく質を合成することができるのだ。江戸時代の浮世絵を見ると、大工などの職人は筋肉隆々に描かれている。飛脚は1日に100~200キロメートルもの距離を走ったという。そして戦国時代、武士たちは壮絶な戦いを繰り広げた。
つまり、昔の日本人は米と野菜しか食べなかったが、腸内細菌でたんぱく質を合成できる体質だったのではないかと考えられる。現代人とは、腸内細菌の構造がまるで違ったのだろう。