“上京失敗”と“留年”の大誤算が心を強くした。藤田晋が語る、学生時代
「この世界から、早く抜け出さなければ……」
華やかな大学生活に憧れて、福井から出てきたはずだった私。しかし、厚木で蝶ネクタイを締めて、見知らぬ男性らと来る日も来る日も麻雀を打ち続けました。その店は、若い人が気軽に入れるようなムードではなく、お客様は年配の方ばかり。「お兄ちゃん、若いのにうまいねぇ」とよく褒めていただきました。
私は不器用でしたから、手抜きなど一切せず、常に全力で勝負をしていました。そんな愚直さの積み重ねが、麻雀の強さにつながっていったのかもしれません。そこには“バイト”という立場で1年ほどお世話になりましたが、月間で負け越したことは1度もありませんでした。
あるとき、「麻雀を仕事にしてみようか」という思いがよぎったことがあります。私はそのとき、ようやく自分自身と冷静に対話をすることができました。
「私はいったい、何になりたいんだっけ?」「親に金を出してもらってまで、なぜ東京に出てきたんだっけ?」
そして、私はようやく気づくことができたのです。「この世界から、早く抜け出さなければ……」
大学から衝撃的な知らせの「大誤算」
危険を察知した私は、来るべき3年生への進級に向けて、身辺を大整理することにしました。まずは引っ越しです。「3年生から、ようやく表参道の青山キャンパスに移れるぞ」
フットワークの軽さだけが取り柄だった私は、いち早く二子玉川に新たな下宿先を見つけて手配しました。世田谷区役所で、転入届など引っ越し関連の手続きを終えた私は、「やっと東京で暮らすことができる!」と浮かれていました。ところが、大学から衝撃的な知らせを受け取ることになります。「留年通知」です。
3年生に進級するためには当時54単位が必要だったのですが、私は30単位ほどしか取得できていなかったのです。これも人生有数の“大誤算”でした。もちろん、そうなる可能性については薄々勘づいてはいました。親切な何人かの友人たちがアドバイスしてくれていたからです。
「藤田は単位がヤバそうだから、東京にはまだ引っ越さないほうがいいかもよ」