東大前殺傷事件、17歳犯人も陥った「努力して成功する」ファンタジーの危うさ
げんなりするような“理想の自分”像
もっとも、自分を鼓舞して新しい人間に生まれ変わりたいと願うこと自体は悪いことではありません。しかし、あらゆる願望と充実の向かう先が自分自身であることは、自意識を肥大化させる危険性も孕んでいます。
<願望を賛美するレトリックのインフレ状態は危険である。なぜなら、それが私達をげんなりさせる思想の温床になってしまうからだ。
“私達は常に豊かで、幸福で、意気揚々としていて、自信に満ち溢れ、賢くあらねばならない。性的な探究心も失わず、あらゆる批判にも動じてはならない。そうでなければ、正しく生きているとは言えない”。
そのようなうんざりする自我の理想を生み出しては、夢に生きていないからといって大半の人々を落伍者として憐れむ気持ちすら抱くことになるのだ。>
「頑張らないやつは負け犬」という視線
そんな態度で“努力”に励み続けると、自己を偶像化する論法ばかりが強化されていってしまう。そこに他者への視線や配慮は、もはや存在しない。
自己変革を成し遂げた偉大なオレ様と、いまだ行動を起こさない負け犬たち。そういう構図であらゆる関係性をとらえてしまいかねません。だから、シーモアは今日の自助努力カルチャーを危険だと考えているのです。