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東大前殺傷事件、17歳犯人も陥った「努力して成功する」ファンタジーの危うさ

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「努力は報われる」という信仰の残酷さ

 イギリスの名門雑誌『New Statesman』電子版の「The cruelties of self-help culture」(自助努力カルチャーの残酷さ 2022年2月1日配信 引用部は全て筆者訳)というコラムに、その謎を解くヒントがありました。筆者のリチャード・シーモアは、自助努力によって自己実現や成功を得られるとする現代特有の信仰は、危ういファンタジーだと論じているのです。一体どういうことでしょうか?

ビジネスマン

画像はイメージです(以下同)

 まず、経済情勢の変化が“努力”の概念を変えていったことに触れ、勤勉や節約を自助の美徳とした昔と現代の違いを、こう論じるのです。

<住宅ローンや消費者ローンの金利上昇が繁栄を支えるシステムにおいて、もはや節約や貯蓄は有効な価値観ではない。むしろ、今日では利益はイノベーターやリスクテイカーだのがかっさらっていくと巷間言われている。にもかかわらず、努力は報われるという基本的な考えは、いまだにとても支持されている。それは起業家たちの間のみならず、貧困層でも受け入れられているのである。>

 早い話、いまの経済システムでは、勉強にせよ仕事にせよ、誰がどれほど努力したところで利益の取り分はすでに決まっているのに、中身を抜き取られた“努力”という言葉だけが、亡霊のように生き残っているというわけです。

「自己実現」にのめりこむ

 そこでシーモアは、“自己の充実”や“自己の変革”という考え方が信仰と化している状況に注目します。結婚や仕事、階級的な連帯などからの充実が得られない若い労働者においては、自己変革の物語に感情移入することで、充足感の代わりとする傾向があるというのです。

 つまり、努力によって財布の中身が潤うわけでも、他者とのつながりを持てるわけでもない状況では、なけなしの“自己”しか残っていないということですね。

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