“親ガチャ”にハズレた?大河ドラマ『鎌倉殿の13人』主人公・北条義時、波乱の人生
2022年1月9日からスタートするNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。歴史に明るくない人には、タイトルだけではなんの話かわかりづらいかもしれない。「鎌倉殿」とは簡単にいえば鎌倉幕府のこと。
「13人」とはその政(まつりごと)を合議制で決定するために招集された御家人(鎌倉幕府の家臣)のことである。13人のなかで中心的な役割を果たしたのが、小栗旬演じる主人公・北条義時だ。本記事は『鎌倉殿の13人』の時代背景や、義時の人物像について、元歴史雑誌編集者の筆者が解説する。
鎌倉幕府を安定政権に導いた北条義時
ご存知のとおり、鎌倉幕府は源頼朝が平家を倒して樹立した、事実上日本初の武家政権。教科書的にはその発足を頼朝が征夷大将軍になった1192年とされてきたが、近年は朝廷から軍事指揮権を認められた1183年や、地頭・守護の任免権を認められた1185年とする説も根強くなっている。
いずれにせよ、武士の世を高らかに宣した鎌倉幕府だったが、発足からしばらくは盤石といえる状態ではなかった。全国の武士全員が鎌倉殿を信任したわけではなかったし、なにより、朝廷との関係が必ずしも良好ではなかったのである。
そんな不安定な状態を安定政権に導くけん引役を果たしたのが2代執権(後述)の北条義時だったのである。1221年に勃発した「承久の乱」では、義時指揮の下、幕府軍が朝廷軍を撃破。皇室・公家を政治から完全に排除し、いわゆる“武士の世”をほぼ完全な形にしたのだった。
親ガチャで波乱の人生を歩むことに?
もっとも、義時の激動の人生と栄光が自ら望んだものだったのかどうか、はなはだ疑問だ。鎌倉時代の歴史書『愚管抄』は、義時を「武内宿禰(たけしうちのすくね・『日本書紀』『古事記』に登場する英雄)の再誕」と讃えるが、本来なら、血なまぐさい抗争や陰謀渦巻く暗闘などから距離を置いて、もっと優雅な人生を送ってもおかしくなかった。
義時の人生が波乱に富んだものになったのは、父・北条時政(1138~1215)の権力欲に翻弄された面が少なくないように思える。今風にいえば、「親ガチャのハズレ」だったのではないか、というのが筆者の印象である。