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財務官僚を今も苦しめる「馬場財政」の悪夢。戦時を生きた“偉大な総理”の実像

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軍拡と増税の繰り返しが国民を苦しめた

 そして、これに対応するために陸海軍以外の省庁が大幅なしわ寄せをこうむります。新規の予算がほしければ他の予算を削るよう要求されたのです。

 こうして無理やり予算を捻出するのですが、それでも足りない場合は、日銀の直接引き受けで国債を刷る。民需は徹底した緊縮予算をやった上で、軍需偏重の積極財政を行います。しかし、周辺すべての国と喧嘩するという計画なので、軍事費はいくらあっても足りません。それで増税する。財源が足りると軍拡の繰り返しです。

 もはや、世界征服するまで終わらないような、準戦時体制予算を組みました。しつこいですが、昭和十一年の段階では、戦時体制ではありません。「準」戦時体制です。

 自由主義経済を旨とする大蔵省にとって、国民を苦しめる経済統制と増税は、本来の伝統に反します。『大蔵省史』も高橋蔵相が過熱する景気の引き締めに転じていた時期に、あえて財政膨張に踏み切ったことを「馬場蔵相の登場は大蔵省にも大きな変動をもたらした」(『大蔵省史』第二巻、一四四頁)と批判します。あらゆる経済法則に反した行為で、日本を意図的に滅ぼそうとしていたとしか思えない行為でした。

現代にも生きる馬場財政の悪夢

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 したがって、大蔵省にとっては四日で収束した二・二六事件そのものではなく、二・二六事件の直後におこった馬場人事・馬場財政のほうが大問題なのです。

 現在、日本政府は膨大な国債を発行し、それを黒田日銀が買い取っていますが、財務省が本能的に嫌がるのは、このときのトラウマです。現代を生きる財務官僚までもが、いまだに馬場財政の悪夢にうなされているという強烈な後遺症を残しているのです

 とにもかくにも、馬場によって日本も大蔵省も、「国が亡びるまで増税」のレールに乗せられました。池田勇人が本省に呼び戻されたのは、この馬場時代でした。逆に増税することを前提とした体制になったので、税の専門家である池田が中央に呼ばれたわけです。それで池田は大蔵事務官として主税局に勤務します

 若き池田勇人は期待に応えて、ジャンジャカ税金を取りまくります。池田は二十年に及ぶ長いドサ回りを終え、東京に戻されたことが嬉しくてしかたがないのです。税金を取ることがお国のためだと思いこんで必死に仕事をしました。

嘘だらけの池田勇人

嘘だらけの池田勇人

若き日の挫折人生、中間管理職時代を乗り越え、これからというところで志半ばで倒れるも、その功績で日本を今なお救い続けている池田勇人の知られざる物語

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