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レスリング女子日本代表・土性沙羅、東京五輪を語る「頑張ることで恩返しを」

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負傷を乗り越え、今の自分を受け入れた

土性

©東新住建レスリング部

――ストックメンサ選手との1回戦に敗れ、翌日の敗者復活戦への出場となりました。目標としていた金メダルの可能性が消えた後だっただけに、気持ちの切り替えは難しかったのではないでしょうか?

土性:1回戦で負けた後、そこで(試合出場が)終わる可能性もあったのですが、ストックメンサ選手が決勝まで残ってくれたおかげで銅メダルへ向けてのチャンスが巡ってきました。本当に後がない状況でしたし、全部出し切って銅メダルを獲得を目指そうと思い、気持ちを切り替えることができました。

――今回の東京五輪では、組み手などにもこだわるなど戦い方の幅を広げて挑んだ。それまでの大きな武器だったタックル主体というスタイルの変更はどのような思いで決断したのでしょうか?

土性:タックルはもっとも得意としていた武器だったのですが、肩を怪我し、手術してからは以前のような感覚でタックルに入れない時期が続きました。すごくいいタックルも入る時もあったのですが、失敗することのほうが多くなり、「どうしたら以前の戦い方に戻せるか」という考えに捉われるなど、逆に空回りするような状態でした。

 それでもコーチや周囲の仲間からのアドバイスにより、「今の自分にできることで戦おう」と思えるようになり、組み手だったり、投げやがぶりも、それまで以上に吸収し、さらにレスリングの視野が広がりました。(スタイル変更への)考え方の切り替えは素直に受け入れることができました。

自分が頑張ることで皆さんへの恩返しを

土性

登坂絵莉選手と土性選手 ©東新住建レスリング部

――20代で2度の五輪を経験するなど、大きな舞台で戦ってきている中での葛藤やプレッシャーは特にどんな部分で感じていましたか?

土性:これまで周囲のたくさんの人たちから応援してもらっていた中で、その声にしっかりと応えることができるのかな、もし結果が残せなかったら申し訳ないなと考えることはありました。

 それでも、もう一度オリンピックの舞台で表彰台の一番上に立ちたいという思いを強く持ち続けていましたし、それが原動力となり色々なことを頑張ることができました。そして自分が頑張ることで、結果的に周りの人への恩返しになるとも思っていたので、「もう一度金メダルを」という思いが怪我などの困難を乗り越える力のひとつとなりました。

――高校、大学の先輩後輩の関係であり、2013年から2人でチャンピオンになることを目指し、練習を重ねてきた登坂絵莉選手(リオ五輪48kg級金メダリスト)からは、今大会ではどんな言葉をかけられましたか?

土性:登坂絵莉さんとは常に連絡を取っていました。試合の前日にも、1回戦に挑むにあたって「後悔の無いように全部出し切るつもりで戦っておいで」という声をかけてもらいました。リオ五輪でもずっと一緒に練習していましたし、全体での練習後も夜遅くまで練習相手になってもらうこともありました。昔からお世話になっていて、今でもお世話になっています(笑)。

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