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JR西日本、山陽本線の支線「和田岬線」に乗ってみた

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2.7キロのミニトリップ

 定刻通り17時16分に発車し、ガラガラのせいか車掌の放送が車内によく響き渡る。山陽本線の本線部と分かれ、左へ曲がり続けてゆく。線路脇にはPC枕木(PCは「Prestressed Concrete」の略)が置かれ、これから先も走り続けることを暗に示す。

 進行方向右側に川崎重工があり、和田岬線とは線路がつながっている。敷地内では西武鉄道40000系ロングシート車、Osaka Metro 御堂筋線用30000系の姿が見える。ここで造られた車両の多くは甲種輸送やトラックにて、発注先の鉄道事業者まで運ばれてゆく。

和田岬駅

130年の歴史を持つ和田岬駅

 3番目の踏切を通過すると、直線を走り17時19分、終点和田岬に到着。ホームは1日の勤めを終えた多くの乗客が和田岬線の列車を待ちわびていた。周辺は三菱重工神戸造船所などの工場が集い、“従業員の足”として機能しているが、隣接する神戸市営地下鉄海岸線の和田岬駅を利用する乗客も多い。

 その後も和田岬線に乗車する人が続々と姿を現し、兵庫行きは満員御礼の状態で17時25分に発車した。

山陽鉄道の貨物支線から始まった

 和田岬線は山陽鉄道の貨物支線として、1890年7月8日(火)に兵庫―和田崎町間が開業した。貨物支線とはいえ、旅客輸送も担っていたほか、和田崎町駅は現在の和田岬駅より遠い位置に建設されていた。線路も和田崎町から先、三菱重工業まで延びており、貨物列車が乗り入れていた。

 また、兵庫運河の工事により、兵庫―和田崎町間に和田旋回橋という可動式の鉄橋も建設された(現在は可動しない。兵庫運河自体は1899年に完成)。

 1895年、和田崎町を「和田岬」に改称。1906年12月1日(土)、山陽鉄道は鉄道国有法により、鉄道省(のちの国鉄、JR西日本)の管轄となる。1912年4月16日(火)、兵庫―和田岬間に「鐘紡前」という新駅が開業。和田岬線にとっては唯一の新駅開業であったが、1962年3月1日(木)付で廃止。半世紀の歴史に幕を閉じた。

和田岬駅

移転時には駅舎が建っていたが、2009年8月に解体

 1945年2月、和田岬駅は現在地に移転され、距離は若干短くなった。

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