NHKから映画界へ。人気監督が語る若手時代「肥やしとなるものに貪欲だった」
作品のどこかにドキュメンタリー的な楽しみを
――その破壊衝動みたいなものは、自分のなかでごちゃごちゃになった時期があったうえで、その衝動を認めた感じでしょうか。
大友:そうですね。『龍馬伝』なんかは、まさに現場に混沌を持ち込んだ。とにかく新しい方法を次々と現場に放り投げた。そこから生まれるものを拾うことで、現場の熱気が、幕末の志士たちの熱量の創出に繋がっていった。今考えると、本当によくぞここまで蛮勇を振り絞ったなと。めちゃめちゃな方法論でやっていましたね。
結局、組織からは出たわけですが、根本はドキュメンタリーでの経験になりますかね。現実に生きている人の、現実に起きている出来事のほうが面白いぞ、生っぽいぞと。それに負けないフィクションをどう作ったらいいのか、ぬるいフィクションが耐えられない生理になっている。
――ドキュメンタリーに負けないフィクションをとなっていったのは、ドキュメンタリー経験後にハリウッド留学(1997年からの2年間)で映画の力に触れたからでしょうか。
大友:映画の凄さを知ったと同時に、ドキュメンタリーを知っているからこそ、リアルに負けたくないと。
――『るろうに剣心』などの規模の大きなフィクションを撮って、経験を培った今だから撮れたとも言えますか?
大友:どうでしょうか。『影裏』のような作品も継続して手掛けていきたい。その一方で、ドラマチックで動的な作品も変わらず撮っていきたいし、そういう作品の中にも、ある種のドキュメンタリー的な手触りを残していきたい。20代の頃の「生の現実」に触れていたときのワクワク感やザワザワ感を、フィクションの中に取り込んでいきたいと、そう思っています。
<取材・文・撮影/望月ふみ>