引退する畠山、ダルビッシュ…ヤンチャ坊主だったプロ野球選手4人
9月8日、東京ヤクルトスワローズの中心打者として活躍した、畠山和洋が現役を引退することを発表した。
現役生活で最後の練習となりました。
皆さま本当にありがとうございました。 pic.twitter.com/0By7Ugrkpt— 東京ヤクルトスワローズ公式 (@swallowspr) 2019年9月21日
豪快なスウィングを売りとし、2015年のリーグ優勝時には105打点で打点王を獲得、リーグ制覇に大きく貢献した。近年では下半身の故障に苦しみ今季は一軍出場の無いまま、現役生活にピリオドを打った。
畠山和洋:サボり魔として有名だった
長らく、強打者として活躍を続けた畠山だが、一方で語られてきたのが「練習嫌い」「遊び好き」といった一面だ。専修大学北上高等学校在籍時よりその打者としての素質を見出されていたものの、練習の中でも走ることが嫌いだったこともあり打撃投手を率先して行うなど指導者の頭を悩ますこともしばしばだったという。
プロ入り後も「練習をさぼることしか頭に無かった」と語り、寮の門限も気にすることなく深夜まで出歩くことも多かった。それでもプロ入りから10年以上が過ぎた2013年、レギュラーとして出場を続けながら怪我により成績が低迷したことをきっかけに自身のプレーへの考え方を変え、さらには優勝への渇望が沸き起こったと明かしている。
その2年後のリーグ優勝、初タイトル獲得は才能の開花も去ることながら、故障を機に迷いが生じたことで野球への取り組みを大きく改めたことが飛躍の要因となった。
プロ野球の世界では、プレーでスポットライトを浴びる一方で、球場外で見せるその人となりも公に語られるのが宿命だ。若き日には必ずしも「品行方正」だったわけではない実力者たちの内面を知りたくなるファンも少なくないはず。ここではその独自の個性を持ちつづけたかつての「ヤンチャ坊主」たちを取り上げる。
中田翔:怪我がきっかけで野球と向かい合う
北海道日本ハムファイターズの四番、中田翔もかつては「入学から同級生は下に見ていた」と語っていたように、別次元の実力を持ち合わせていた。大阪桐蔭時代は1年からレギュラーとして甲子園の地を踏んでおり、才能からくる自信を隠そうとはしなかった。
それゆえ、学生時分の破天荒なエピソードは数知れず、ドラフト1位で日本ハム入団後も「怪物」や「番長」といったニックネームで呼ばれ、貫禄が備わる風貌も相まって、見事なまでにキャラが確立されていく。
ただ、やはり分厚いプロの壁を乗り越えるのは簡単ではなく、1~2年目は満足に出場機会を得られず、3年目には半月板の怪我に見舞われる。本人曰く「そこで初めて野球と向かい合った」とのことだ。
手術を経て一軍に復帰後、プロ初本塁打を放ち、翌年にレギュラーに定着、日本代表の四番にも座ることとなり、かつてのヤンチャ坊主は大けがを克服し、球界屈指のスラッガーにまで成長した。