井岡一翔4階級制覇の裏で…ボクシング業界と戦った男
ほとんど前例のない“海外での闘い”
今でこそ井上尚弥選手や井岡一翔選手など、海外での活躍が目覚ましいボクサーもいますが、当時はほとんど前例のないことでした。そんななか、山口さんはどのように道を切り開いていったのでしょうか。
「後援会も応援してくれたけど、中心になっている牧さん(大阪で奄美料理店を営む)はボクシングのことはあまり知らない気のいいおっちゃんだったからね。ほとんど誰もやったことがないことだったし、全部一人でやるしかなかった。
だからトレーナー見つけたり、練習場所を確保したり、試合を組んでくれるプロモーター(興行主のこと。海外では専門職が存在するが、日本ではジムの会長が担っている場合が多い)に自分で話をつけたり、興行をやるための資金を調達したり……。ありとあらゆることを自分でしましたよ。言葉の問題もありましたけど、そこは最低限の英語と、あとは心ですね」
言葉の壁をものともせず、海外で活躍の場を広げ始めた山口さん。しかし、「誰もやったことのないことなので苦労よりも楽しさのほうが大きかった。海外は日本にくらべて自由にできることのほうが多くて、自分一人でやったことで興行の仕組みとかお金の流れとかもわかったんです」と話します。
離れて見えた日本ボクシング界の問題
2011年10月には自身が会長となる「大阪天神ジム」を開き、後進の育成や選手のマネージング、JBC非公認団体の自主興行を行うようになります。その中で直面したのが、古い慣習にとらわれる日本ボクシング界の問題でした。
「ひとつは日本で一般的な“ジム制度”の問題。選手がジムに縛られて、全然自由に試合ができないんですよ。ジムの会長の意向も大きくて、どんなに実績があってタイトル戦を組みたくても、すべては会長の一存。
しかも、ジムによってはろくにボクシングをしたことがないような人が会長だったりするから、ビジネスはできてもボクサーの気持ちがよくわかっていない。どんなに強くても所属するジムによって試合の機会が得られなかったりするんです」
契約面にも問題があると、山口さんは話します。
「日本ではジムとプロ契約をするとき、契約書を交わすんです。契約期間も決められていて、これが大体3年くらい。要するに3年過ぎれば契約が切れるわけです。ここまでだったらいい。でも、そのあとがおかしい。契約が自動的に更新されてしまうことがほとんどなんです。
何らかの形で本人への確認があればいいけど、それすらない。本来だったらプロなんだから、別の環境を求めて、他のジムに移籍してもいいじゃないですか。でもそれが難しいんです。ボクサーによってはそもそも契約の内容をよく知らないこともある。自分も外に出てみるまで知りませんでしたよ」