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東京五輪は最高か、最低だったか?忘れられた「当初の理念」を振り返る/常見陽平

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 終了から時間が経ってしまったが、感染爆発のさなかに開催された東京2020オリンピック、そしてパラリンピックは、賛否両論の様々な議論を呼んでいた。

オリンピック

(代表撮影:雑誌協会)

 招致、開催は正しかったのか。成功したと言えるのか。いまだ検討する材料が足りない現状では、その答えは出しづらい。ただやはり、スポーツの祭典の裏で何が起きていたのか、それを振り返ることには意味があるように思えるのだ

閉塞感の一方で、競技には手に汗握った

 東京2020オリンピックが開催した7月23日、都内の感染者数は1359人を記録していた。7月半ば頃から軒並み1000人以上を記録していた状況では、一部からは「自分たちは感染を抑えるため我慢しているのに、なぜオリンピックはOKなんだ」という声も上がっていた。

 そこからさらに2000人台、3000人台、4000人台と増え続け、あれよあれよという間に5000人台へ。かつて「夏に感染者数は減少する」と言われていたのは何だったのかと、首をかしげた人たちもいたことだろう。

 オリンピック自体に対しては、相次ぐ降板騒動など事前のドタバタ劇もあり、開催式や閉会式は酷評された。世界から取り残されつつある日本の閉塞感が流れていたというのが、筆者なりの見方だった。

 それでも、選手たちが好成績を残したのも事実で、金メダルの獲得数は27個。メダル獲得総数も前回のリオデジャネイロ大会を上回る、史上最多の58個を記録したのは、疑いようがない。筆者もテレワーク中、スマホに来るオリンピック中継の通知からメダルラッシュを体感していた

コンパクト・東北復興はどこへやら…

開会式の菅義偉首相

オリンピック開会式の菅義偉首相(代表撮影:雑誌協会)

 ホームである地の利も活かして、選手団が健闘していた姿は記憶に強く焼き付いた。ただ、彼らが熱狂を生んでいたとはいえ、世論が「菅総理ありがとう」とはならなかったのも事実だろう。五輪で政権支持率のアップを意図していたのだろうが、メダルラッシュと同時に感染ラッシュもあり、心から熱狂できなかった。

 そもそも、オリンピックの賛否両論も多様であった。賛成か反対かの二元論では割り切れず、どちらの意見も細かく見ると人それぞれのスタンスは異なっていた。反対といっても、招致そのものに反対していた人もいたし、コロナを懸念しての声、開催直前のゴタゴタを見ての声など様々あった。

 また、当初は前東京都知事の猪瀬直樹氏が招致時「神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪」と位置付けていて、コンパクトオリンピックや東北復興をキーワードにしていたはず。しかし、実際には諸々の経費が3兆円超えとの報道もあり、お金以外にもたくさんの犠牲を払った上での開催となっていた。

 結果として、当初のコンセプトがポエム化してしまったことで、オリンピックの裏にあったはずの「世界を1つに」「日本を1つに」という理念も空虚に見えてしまった

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