井岡一翔4階級制覇の裏で…ボクシング業界と戦った男
WBO世界スーパーフライ級王座決定戦が6月19日、千葉市の幕張メッセで行われ、井岡一翔選手がは同級1位のアストン・パリクテを10回TKOで下し、日本人選手として初めてとなる4階級制覇を遂げました。
その影で、古い慣習による制限や同調圧力などを理由に日本のボクシング界を去ったボクサーがいました。7月6日より新宿K’s cinemaにて公開されるドキュメンタリー映画『破天荒ボクサー』の主人公、ボクサーの山口賢一さん(39)は2009年5月、日本バンタム級7位、11連勝中と将来を嘱望されていた最中、29歳で日本ボクシングコミッション(以下、JBC)のライセンスを返上し、日本のリングから去る決心をします。
本作は、誰からも応援が得られない中で孤軍奮闘する山口さんの姿や、日本ボクシング界の悪しき慣習との“リング外での闘い”を描いた作品です。今回、山口さんに日本ボクシング界を離れた経緯やこれからのボクシング界について思うことを聞いてみました。
いっこうに試合が組まれない“歯がゆさ”
「JBCを離れた当時は29歳で30手前。日本タイトルを取って次に世界戦という未来を思い描いていましたから、すぐにでもタイトルマッチをやりたかった。でも、いくら待っても試合は組まれなかったんです」
明確な理由も知らされず、いっこうに組まれない試合。いたずらに過ぎていく時間に山口さんは言いようもない焦りを感じたそうです。
「なんで試合が組まれなかったのか、明確な理由はわかりません。上の世代がつまっていて、その人たちを先にタイトル戦に出させるとか、暗黙のルールがあったみたいです。あとは所属しているジムの会長の好き嫌いとかね。日本ボクシング連盟の山根(明)前会長の話もあったけど、トップに立つ人によって采配が変わるようなところがありました。
そういう中でモチベーションも高く、コンディションも抜群な、『今やったらいけるやろ』というときにタイトル戦が組まれずに、機を逃してきた先輩の姿をたくさん見てきました。
だから、どうしても自分がやりたいと願ったあのときにタイトルに挑戦したかった。後援会の人たちも応援してくれていたしね。応援してくれているのに何年も待たせるのも心苦しかったんですよ」
日本プロボクシング界を去る決意をする
タイトル戦を熱望する山口さんが選んだのは、JBCに引退届を提出し、海外に活動の場を移すことでした。
「自分の人生やし、好きにしようと、勢いでJBCをやめました。『ジムをやめて一人でどうするんや』という声もあったんですが、海外にも活躍の場所があると知っていましたし」
そんな山口さんが挑戦したのはWBOの地域王座です。WBOはプエルトリコに本部を置くボクシングの4大世界王座認定団体のひとつ。のちにミニマム級で日本人初となる4大団体チャンピオンとなる高山勝成選手などの活躍を受けて2013年、JBCの公認団体となったWBOですが、当時は非公認団体でした。タイトルに挑戦するためには日本のプロライセンスを返上する必要があったのです。
WBOに活躍の場を移した山口さんは、その後2009年にはWBOアジア太平洋スーパーフェザー級王者を勝ち取り、2011年には日本人初となるWBOの世界タイトルのリングに立つことになります。