ウタ“生歌唱ではなく録音”報道が示した、令和における『紅白歌合戦』の存在意義
やはり紅白の宣伝効果は絶大
話を紅白に戻すと、規模は全く違いますが、近年ではヒット曲を紹介するカタログのような番組だと言えます。視聴率低下が叫ばれているとはいえ、毎年確実に30%前後の数字を叩き出す。やはり宣伝効果は絶大です。これから売り出したい新人アーティストやアニバーサリーイヤーを盛り上げたいベテランにとってはなおさらでしょう。
だとすれば、パッケージとなった音源をそのまま流したい気持ちもわかります。カタログなのだから、それこそ「台無しにすること」は許されないからです。“じゃあLIVE表示はどうするんだ?”との声も聞こえてきそうですが、残念ながらそこは暗黙の了解でそういうもんだと受け止めて観る以外にないのではないか。
それでも音楽番組としての臨場感やプロフェッショナルの凄みを求めるのであれば、放送時間を短縮し、出演者の数を絞って小さなスタジオで環境をコントロールできる状況が整わない限り無理でしょう。イギリスBBCの『Jools’ Annual Hootenanny』(1992年から放送されている年越し特番)程度の規模、そしてミュージシャンのレベルですね。
紅白は歌番組でも、音楽番組でもない
これが音楽番組だとすれば、やはり昨今の紅白はそのカテゴリーには入らないと思うのです。
その意味で、皮肉なことにウタの本人不在の録音パフォーマンスはいまの紅白のコンセプトをわかりやすく表してくれました。もはや紅白歌合戦は歌番組でも音楽番組でもないのです。かといって、ハーフタイムショーのような圧倒的なエンターテイメントからも程遠かった。
では、一体私達は何を見せられたのでしょう? それはステージ上に映っていないアニメと踊ったタレント達にも浮かんでいる問いなのかもしれません。
<TEXT/石黒隆之(音楽批評家)>