「キレ芸は借金がきっかけだった」カンニング竹山、吉本から3回逃亡した若手時代
事務所を「右往左往」した上京生活
――上京後、所属したのが渡辺プロダクション(ナベプロ)だったそうですね。
竹山:西荻窪の3万円ぐらいの風呂なしアパートを契約して半年後、偶然中島と再会。そこで中島を芸人の道に誘ったら、やるって言う。中島はアイドルの親衛隊をやっていたから芸能事務所にも詳しくて、調べてくれた中にナベプロのオーディションがあったんです。21歳で、「カンニング」としてナベプロ所属になりました。
みんな尖ってたから、最初は結構イジめられましたね。トイレで「なめんなよ、ゴルァ」って凄まれたり。後に仲良くなってからは、売れてる人を間近で見られるし、東京が楽しくて、ネタを作らなくなる(笑)。結局1年半くらいでクビになりました。
芸人育てずに、猫を育てたマネージャー
――仕事への悩みや迷いなどは、ありませんでしたか。
竹山:もっと売れたいという欲はもちろんあるんだけど、「カンニング」として世に出た時は、若くて勢いがあるというだけで、そこそこ人気があったんです。調子には乗ってたと思いますね。
そんな時、僕らを可愛がってくれていたナベプロ社員が、サンミュージックに移ってお笑い班をやると。そこに来てほしいから、「いっそクビになってくれ」って言われていて、晴れてクビになったので、誘い通り行きました。そこでは、休みがないほど仕事があって、1人月30万円もらえるという話だったんです。
ところが、仕事なんか何もない。なのに、マネージャーはいっつもノートパソコンをいじってるの。一体何してるんだろうと思って、一度中島とそのパソコンをこっそり覗いたら、ゲームソフトかなんかで、猫飼ってたんですよ。芸人育てずに、猫育ててるんですよ。「酷えな、あいつ!」なんて、2人で毒づいて(笑)。