北朝鮮からポーランドへ送られた子供たちの真実…注目の韓国人監督を取材
弟の名前を叫んだイ・ソンを抱きしめて
――映画冒頭で、「傷による連帯」とメモして、下線を引くのが印象的でした。イ・ソンが北朝鮮に残した弟の名前を叫びながら、波打ち際で叫ぶ場面で、監督がイ・ソンを抱きしめます。あのとき、監督はどんな気持ちで、イ・ソンを抱きしめていましたか?
チュ監督:偶然、あのような場面を撮ることになりました。ポーランドへ行った孤児たちが、ポーランドで唯一の海岸へ遠足に行ったエピソードがあります。当時、子どもたちがどんな気持ちで海辺に遠足に行ったのか考えながら行ったんですが、予想外にイ・ソンが泣き出してしまったんです。
イ・ソンを抱きしめると、彼女の肩が揺れたり、心臓と心臓の鼓動で痛みが伝わってきました。泣いちゃいけないという理性がありながらも、痛みが身体を通じて伝わってくる経験は、とても貴重なものでした。その瞬間、私はイ・ソンのことを愛することができたし、その経験があったから、今まで家族のように彼女と付き合っているなと思います。
北朝鮮に戻った子どもたちを描かなかった理由
――素晴らしいエピソードですね。ポーランドから北朝鮮へ戻されてしまった子どもたちは今どんな暮らしをしているのか、気になりました。
チュ監督:実はドキュメンタリーの中で、北朝鮮に戻ってからの子どもたちのことを描かなかったのには理由があります。ポーランドの先生たちが、子どもたちが今の状況を知らないまま、子どもたちを思う気持ちを伝えたかったんです。今を生きる韓国の人々に、同胞として同じ民族の人たちを思う気持ちになればいいなと思いました。
韓国上映では、観客とのQ&Aの時間に話す機会はありました。北朝鮮に戻ってから44年後、ポーランドの北朝鮮大使として戻っていった人もいます。模範生たち上位10%が外交官になったり、言語の分野で教育職についていて、それ以外の人たちは技術的な労働者になったと聞いています。
とても悲しいことですが、体制維持のために、留学を経験した子どもたちに対する粛清の時期が90年代半ばにあったことも事実です。