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100万都市・江戸はなぜ人口世界一になれたか?「あっぱれな植物」の正体

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江戸近郊で豊かな農業が営まれたワケ

米

 下肥はその品質によって価格が定められていた。身分が異なると食べているものの品質が異なるので、身分の高い家の糞尿ほど高く売買された。もっとも値段が高いのは、大名屋敷の下肥であった。大名屋敷の下肥は「きんぱん」と呼ばれ特別扱いされたという。

 人口100万都市の人糞尿は見事に肥料として利用され、江戸近郊では豊かな農業が営まれた。河川も汚されることなく、美しく保たれた。なぜだろう。

 農地に施された多くの肥料分は川に流れ出て、江戸湾に流れ込んだが、この栄養分は川を汚すほどの量ではなかった。それどころか、栄養分をエサにしてプランクトンが発生し、そのプランクトンをエサにしてたくさんの魚が育まれた。こうして作られた豊かな漁場が「江戸前」と呼ばれる海だったのである。

「もったいない」という世界が称える日本語があるが、江戸時代の日本人はあらゆるものを捨てることなく再利用し、循環型社会を実現していたのだ

<TEXT/植物学者 稲垣栄洋>

1968年静岡市生まれ。岡山大学大学院修了。専門は雑草生態学。農学博士。自称、みちくさ研究家。農林水産省、静岡県農林技術研究所などを経て、現在、静岡大学大学院教授。著書にベストセラーとなった『生きものの死にざま』(草思社)ほか、『大事なことは植物が教えてくれる』(マガジンハウス)、『面白くて眠れなくなる植物学』 (PHP文庫)、『はずれ者が進化を作る』、『雑草はなぜそこに生えているのか』(ともにちくまプリマー新書)など多数

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