100万都市・江戸はなぜ人口世界一になれたか?「あっぱれな植物」の正体
江戸近郊で豊かな農業が営まれたワケ
下肥はその品質によって価格が定められていた。身分が異なると食べているものの品質が異なるので、身分の高い家の糞尿ほど高く売買された。もっとも値段が高いのは、大名屋敷の下肥であった。大名屋敷の下肥は「きんぱん」と呼ばれ特別扱いされたという。
人口100万都市の人糞尿は見事に肥料として利用され、江戸近郊では豊かな農業が営まれた。河川も汚されることなく、美しく保たれた。なぜだろう。
農地に施された多くの肥料分は川に流れ出て、江戸湾に流れ込んだが、この栄養分は川を汚すほどの量ではなかった。それどころか、栄養分をエサにしてプランクトンが発生し、そのプランクトンをエサにしてたくさんの魚が育まれた。こうして作られた豊かな漁場が「江戸前」と呼ばれる海だったのである。
「もったいない」という世界が称える日本語があるが、江戸時代の日本人はあらゆるものを捨てることなく再利用し、循環型社会を実現していたのだ。
<TEXT/植物学者 稲垣栄洋>