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江戸時代の遊郭「吉原」の由来とは?巣鴨、蒲田…地名と植物の深い関係

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遊郭「吉原」の由来となった植物は

吉原

 湿地にはヨシが生い茂る。江戸時代に遊郭が開かれた「吉原」はその名のとおり「ヨシの原」である。吉原は、もともと日本橋人形町の辺りにあった。人形町はヨシの生い茂る低湿地だったのである。もっとも、吉原の語源は、遊廓の開拓者である庄司甚右衛門(甚内)の出身地が東海道の宿場町である吉原(現在の静岡県富士市)だったためという説もある。

 しかし、吉原の宿の「吉原」の名もまた、ヨシが生い茂る湿地だったことに由来しているから、いずれにしても、吉原は「ヨシの原」なのだ。

「足立区」の「足立」もアシが生えていたことから「葦立」に由来している。「アシやヨシが生える」と言われるが、アシとヨシは同じ植物である。もともとはアシと呼ばれていたが、アシは「悪し」につながることから、「ヨシ(良し)」と呼ばれるようになった。現在では、ヨシが図鑑に掲載される標準和名である。

「荻窪」はオギが茂った窪地を意味

「蒲田」は、泥が深い田を意味する「鎌田」に由来するという説と、ガマが生えていたことに由来するという説がある。いずれにしても蒲田は湿地だった。ちなみに、江戸の名物であった、ウナギの蒲焼きは、「蒲を焼く」と書く。昔はうなぎを開かずに筒切りにして串に刺した。この形がガマの穂に似ていることから、「蒲焼き」には「蒲」という漢字が使われているのである。

「蒲田」に近い「大井」は、湿地に生えるイグサ(藺草)が多かったことから、「大蘭」に由来しているとも言われている。イグサは湿生の雑草だが、表の原料として栽培もされている。また、杉並区には、そのまま「井草」という地名がある。そして、「井草」の近くには「荻窪」がある。

 ススキは乾いた場所を好むが、河原や水辺など湿った場所には、ススキによく似たオギが群生する。「荻窪」はオギが茂った窪地を意味する言葉である。

<TEXT/稲垣栄洋(植物学者)>

1968年静岡市生まれ。岡山大学大学院修了。専門は雑草生態学。農学博士。自称、みちくさ研究家。農林水産省、静岡県農林技術研究所などを経て、現在、静岡大学大学院教授。著書にベストセラーとなった『生きものの死にざま』(草思社)ほか、『大事なことは植物が教えてくれる』(マガジンハウス)、『面白くて眠れなくなる植物学』 (PHP文庫)、『はずれ者が進化を作る』、『雑草はなぜそこに生えているのか』(ともにちくまプリマー新書)など多数

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