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地下アイドルから地方TV局員➝独立した27歳に聞く「M-1ファイナリストとの印象的だった仕事」

ビジネス

どんなに忙しくてもフルメイクで現場入り

田中すみれ

ハードだったAD時代

――TV局での仕事は激務のイメージがありますが、実際はどうでしたか?

田中:本当に、想像通りハードな職場でしたね。休日出勤は当たり前ですし、なかなか家に帰れない。それでも、毎日絶対にシャワーは浴びて、しっかりメイクをしてから現場に行っていました。不潔でだらしないディレクターになりたくなかったのはもちろんなんですけど、昔、TBSの藤井健太郎さんの言葉で「現場では、みんなが焦っているときに落ち着いている風に振る舞って、みんなが落ち着いてるときに焦ってる雰囲気を出すと、優秀そうに見える」というのがあって。私も周囲から「デキる人」と思われたかったんです。

――ディレクターになって、1番感動した出来事について教えてください。

田中:立ち上げに参加したバラエティ番組があったんですけど、その番組の最終回をディレクターとして迎えさせてもらえたことはすごく感慨深かったです。私は下積みのAD時代、頼まれていないVTRを業務の合間に作って見せたり、先輩が担当するVTRを代わりに作らせてもらえないか頼んでみたり、とにかく早くディレクターになりたくて、人一倍やる気をアピールしていたんです。番組と自分の成長を重ね合わせて、勝手にグッときちゃいましたね(笑)。

転職、そしてランジャタイとの出会い

――その後、田中さんは転職をして今に至りますが、念願だったディレクター職を辞めようと思った理由について教えてください。

田中:色々な番組にディレクターとして携わって、憧れていたバラエティ番組の立ち上げも行って、「やりきった」と思うと同時に、YouTubeやネット配信番組など、もっとニッチな層に向けた番組作りに興味が沸いてきたんです。それで会社を辞めて、転職活動を始めようと思っていた矢先に、以前からフォローしていたテレビ朝日のプロデューサーが「芸人のYouTube番組のディレクターを探している」という趣旨のツイートをしていて。

 DMで問い合わせたら「簡単なプロフィールをください」と言われたので、小学校の頃に流行っていたサイン帳を送ったんです。そうしたら「可愛いプロフィールですね」って、書類選考が通って(笑)。後に知ったことなんですけど、このとき、300人近くの応募が来ていたらしいんですよ。

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