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ワクチン接種遅れの元凶「日本医師会」の正体。中川会長にSNSで批判も

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医師不足も医師会のせい?

 コロナ禍で逼迫する医療現場。その原因のひとつが、絶対的な医師不足だ。OECDのデータによると、日本は人口あたりの医師数で35か国中29位、医学部卒業生の数では実に最下位である。しかし、歯科医師のように淘汰されるのを恐れ、医師会は頑なに医師の数を抑制。そして巨大な権力に政治家は反対できなかったが……2008年、厚労相の舛添氏は医師会と真っ向からケンカした。

日本医師会

OECD調査。医療逼迫は、医師不足もひとつの要因だろう

「当時、脳内出血を起こした妊婦を病院が受け入れ拒否、たらい回しにされ、亡くなる事件が相次ぎました。医師会は『医師は余っている』というが、それは開業医だけ。医師会や厚労官僚、自民党の族議員は激しく抵抗しましたが、私は世論を追い風に、1997年に閣議決定された医学部定員の削減を11年ぶりにひっくり返し、過去最大限の増員方針を示しました」(舛添氏、以下同)

 結果、10年間で医師数は約4万人増えたが……。

「あれから、再び政府は医師数の抑制に向かっています。依然として大学病院の勤務医や救命医は不足し、長時間労働も解消されていないし、へき地医療の医師も不足している。元の木阿弥です」

 足りないのは政治家も同じか。

日本医師会の方向性を決定づけた“天皇”

 もともと“日本感染症の父”北里柴三郎が「医道の高揚」を目的に設立した日本医師会は、いかにして日本有数の圧力団体となったのだろうか。

「そのイメージを決定づけたのは、やはり『ケンカ太郎』『武見天皇』の異名を持つ11代会長・武見太郎でしょう。政府との衝突を繰り返し、主に診療報酬引き上げを求める団体交渉の窓口になりました」(和田氏)

日本医師会

元日本医師会会長・武見太郎氏。元日本医師会会長。’57年から25年間にわたり日本医師会会長を務め、三師会にも影響。「医師の3分の1は欲張り村の村長」と周囲には漏らしたとも

 武見は“医師のスト”こと「全国一斉休診」や、保険制度から離反する「保険医総辞退」を武器に、政府に対し医療政策の変更を迫った。一時は官僚が政策プランを持参、武見が赤マルをつけた項目のみで法案を作ったこともあったという。

現在の医師会には最盛期ほどの指導力はありません。それは政府の医療費削減政策を見ても明らかでしょう。武見太郎の息子である武見敬三議員や日本医師連盟が擁立した羽生田俊議員が選挙で苦戦しているように、組織の集票力にも翳りが見られます」(同)

 政府との対立姿勢は“存在感”のアピールかもしれない。

<取材・文/梶田陽介 写真/時事通信社 朝日新聞社 PIXTA>

【木村盛世】
パブリックヘルス協議会代表理事。筑波大学医学群卒業。米国ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院疫学部修士課程修了。厚生労働省医系技官を経て、現職

【和田秀樹】
国際医療福祉大学大学院教授。専門は精神科医、老年内科など。和田秀樹こころと体のクリニック院長。心理学、老人問題に精通する

【舛添要一】
元厚労相・前東京都知事。’09年の新型インフルエンザ流行時には厚労相としてらつ腕を振るう。現在は執筆活動、コメンテーターなど幅広く活躍中

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