10回忌のS・ジョブズが実践した“考えない瞑想”。1回15分でもOK
エンジョイ禅!
坐禅でもっとも困難なのは、とりもなおさずじっとしていることだ。また、身体以上に苦しいのが心で、放っておけばつい活発に思考してしまう。でも、心配は無用。坐禅中に、心の動きをムリに止める必要はない。というより、人間、そうはできないものだ。大切なのは、考えを深堀りしたりいじったりしないこと。浮かぶは浮かぶままに、消えるは消えるにままにさせておこう。
数週間、数か月と長期間坐禅を続けていくと、いずれ考えること自体に飽きてくる。「もう、今この瞬間にまかせ、ゆだねるしかない!」と思うようになる。そして、それでよい。なぜなら、只管打坐(しかんたざ)とは、私たちの習い性である自意識がコントロールしまくる「発信モード」から、天地自然をあるがままに受け入れる「受信モード」へと移行する行いだからだ。坐禅とは一見、孤独な行為に見えて、その実、宇宙と調和する開かれた道なのである。
開かれた心身を持てば、この広い世界で自らがなすべきものが見えてくる。ジョブズは、これを「坐禅で直感が花開く」と独特の言葉で表現した。只管打坐は、目的、目標を持たないから、こうした現象を目指すものではないが、天地いっぱいの坐禅を続けていけば、おのずとジョブズの境地に近づいていく――。
だから、肩肘張らずにまずは坐ってみよう。最後にひとこと、弘文の口ぐせを。エンジョイ禅!
<TEXT/柳田由紀子 イラスト提供/曹洞宗宗務庁>