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吉野家HD「国内事業」が抱える3つの課題。コロナの影響は軽微も…

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 新型コロナウイルス関連肺炎の流行拡大に伴い、東京都を中心に感染封じ込めのため、週末や平日夜間の外出自粛要請が出されたことは記憶に新しいでしょう。

吉野家

オレンジ色の看板が目印の吉野家(撮影/編集部)

 飲食店での飲食も控える動きが出てきているため、飲食業界は軒並み打撃を受けているのですが、「吉野家」は攻めの施策を立て続けに打ち出し、厳しい状況であっても顧客をつかもうと努力をしています。

 まず、3月上旬に出された休校要請にともない、12歳以下の子供の食事用に「牛丼を300円」で割引販売するキャンペーンを打ち出しました。 続いて、3月27日から対象の年齢制限・個数制限を撤廃しました。4月からは弁当需要の高まりをふまえて、「テイクアウト牛丼・牛皿15%オフキャンペーン」を新たに打ち出しています(※4月22日20時まで)。

沿革:魚市場から始まり再生に成功

「ブラック企業アラート(@blackc_alert)」が、身近な企業を題材にして、企業の状況の調べ方・見極め方を解説する本連載。こうした的確なキャンペーンを打ち出せたフットワークの軽さの源泉はどこにあるのでしょうか。企業沿革や公開情報を踏まえて読み解いていきましょう。

 吉野家は1899年(明治32年)創業と、歴史が長い企業なので、まず企業沿革をおさらいします。日本橋の魚市場に個人商店として吉野家を創業したあと、父の跡を引き継いだ松田瑞穂氏が株式会社としての吉野家を1958年に設立します。当時から、アメリカ式のチェーン店の経営理論を取り入れ、先進的な経営を行っていたようです。

 その点に魅力を感じてアルバイトとして働き始めたのが、のちに会長の座まで上り詰め、「ミスター牛丼」として知られることになった安部修仁氏でした。

 その後、1970年代にアメリカ進出を図るなど、破竹の快進撃をしたのもつかの間、吉野家は客離れや物価高騰などが原因で1980年に会社更生手続きをする事態に陥ります。しかし、経営の立て直しは結果的に成功し、2000年に東京証券取引所第1部に上場を果たします。

 2004年には狂牛病(BSE)発生に伴う米国産の牛肉輸入禁止措置を受けて看板商品の「牛丼」を一度は店舗から消さざるを得ませんでしたが、その危機を乗り越え、2018年には「吉野家」が国内外全体で2,000店舗を達成するなど、順調に拡大を続けています。

牛丼のアレンジがおいしいと評判に

吉野家

吉野家の牛丼並盛 photo by Ocdp

 なお、現在の吉野家ホールディングス・株式会社吉野家の代表取締役社長は河村泰貴氏です。

 彼が公認でおすすめする(正確には広報の想定問答集に組み込まれている)牛丼のアレンジが非常に美味しいというエピソードもあります。それはつゆぬきで頼んだ牛丼にお新香とたまごの黄身と、七味を振りかけて食べるというもので、ネットでも話題になりました。

 また、前社長・安部氏のインタビュー(ダイヤモンドオンライン「吉野家の後継者に河村社長を選んだ理由」2017.2.8)を読むと、上からの評価も非常に高い人物であるようです。

 創業者たちのDNAは現在もしっかりと受け継がれているように感じられました。

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