起業家「ミスiD」栄藤仁美の仕事術――何気ない日常会話から何かを生み出していく
――幼少期から、身近に見ていたエグゼクティブたちも、色んな人を紹介しあって、つながりを広げていたのでしょうか。
栄藤:そうですね。どんな人を引き合わせて、こんな新しいことをやったら面白いんじゃないか? ということにだけは、鼻が利くんです。ただ、「こんな儲け話がありますよ」っていう出会いだと、ビジネスが上手く行かなかったときに、付き合いがなくなっちゃう。
そうじゃなくて、「次のランチ、〇〇さんも呼んでいですか?」ってライトに聞いて見るんです。「〇〇さんはこんなことをやっているので、これを合わせたら、面白いことができるんじゃないですか?」という感じで。
あくまでビジネスだけではない、というか。そういった出会いの作り方は、小さい頃からずっと勉強させてもらっていたと思います。
――最後に、挫折の話をお聞きします。16歳で、ずっと目標としていた舞妓への道が絶たれたのは、大きな出来事だったと思います。世の中でも、就職活動などで望んだ業界に行けなかった人も多いですが、どうやって克服したのでしょうか?
栄藤:正直、かなり長いことひきずりましたね。生まれてからずっと、自分は舞妓になって跡を継ぐとばかり思っていたので。今となっては「色んなことにチャレンジできてよかった」とも思えるんですが、23歳くらいまでは、なかなか……。
ただ、挫折して引きこもるのは簡単だけど、やり直そうと思ったらひとつでもいいから、「自分が何か成し遂げた」というベースがないと難しい。レコード会社から声をかけてもらったので、そこでがんばるしかない、と考えていました。
あとは、人生のハシゴを外した母に対して「絶対にアンタには負けない!」、「何かで成功してやる!」っていう気持ちも芽生えました(笑)。
――では、望んだ業界でなくとも、まずは成功体験を作ることが重要ということですね。
栄藤:私の場合は、そうでしたね。あとは、そもそも自分のやりたいことと、向いていることって違うと思うんですよ。私の母は舞妓さんとして芸の道でも大成しているんですが、もし私が舞妓さんになったとしても、そこまでのレベルまで行けたかというと、疑問を持っていて。
もしかすると、今のように、新しいことにチャレンジしながら、花街の魅力を多くの方に伝えることの方が、向いているかもしれないんです。
自分が何に向いているかは、意外と自分ではわかっていないことがあるので、他人の意見を聞いたり、ご縁を大切にしながら、そのときに出来ることをやっていくしかないんじゃないかな、と思います。
<取材・文/森祐介 撮影/林紘輝(本誌)>
【栄藤仁美】
1989年、京都生まれ。京都の花街で、老舗お茶屋の跡取りとして生まれるも、舞妓になる道を絶たれ、起業。17歳で3000万円の借金を背負うが数年で完済。現在は飲食業を経営する傍ら、「東京ガールズコレクション」や、日本初のゲーム音楽プロオーケストラ「JAGMO」のプロデュースなどを手がけていた。「ミスiD 2017」では安藤美冬賞を受賞