あいみょんは「売れてつまらなくなった」という一部の声は妥当なのか?
新垣結衣(30)主演のドラマ『獣になれない私たち』の主題歌「今夜このまま」でブレイクした、シンガーソングライターのあいみょん(23)。昨年末の紅白出場に続き、2月13日にはセカンドアルバム『瞬間的シックスセンス』もリリースし、ますます勢いに乗っています。
「あいみょんは売れ線狙いでつまらなくなった」?
そんなあいみょんを見ていて、改めて売れるということの意味を考えてしまいました。新譜へのアマゾンレビューの批判コメントなどが、“ブレイク後のアーティストあるある”で興味深かったからです。
“私の知ってる○○じゃない”とか、“売れ線狙いでつまらなくなった”みたいな批判ですよね。
だけど、本当に熱心なファンが思うようにつまらなくなってしまったのでしょうか? 商業主義に毒されて、表現の幅が狭まってしまったのでしょうか?
まずは作風を簡単に振り返りたいと思います。わかりやすいのが歌詞の変化。インディーズ時代の「貴方解剖純愛歌~死ね~」(2015年)は、何やら出だしから不穏です。
<あなたの両腕を切り落として 私の腰に巻き付ければ
あなたはもう二度と 他の女を抱けないわ>
そして、メジャーデビューシングル「生きていたんだよな」(2017年)も、飛び降り自殺をした女子高生というテーマに、<血まみれセーラー 濡れ衣センコー>という歌詞がキャッチーでした。“昔の”あいみょんがよかったと思う人は、そういうヒリヒリする緊張感を懐かしんでいるのだと思います。
“中学生のポエム”だった
しかし、この手の表現は諸刃の剣なのですね。「貴方解剖純愛歌~死ね~」も「生きていたんだよな」も、多感な中学生が授業中の暇つぶしに書く“ポエム”の域を出ません。即効性のある刺激を純粋な表現欲求と履き違えることで生まれてしまう言葉に過ぎず、より大きな問題提起をする粘り強さを著しく欠いているわけです。
演奏やアレンジのおかげでそれなりのクオリティを保っているように聞こえても、核となる栄養素に乏しいために体内に残らない。消化吸収した実感もないまま、ただ字面の激しさに脳だけが反応させられている。
「生きていたんだよな」を初めて聞いたとき、筆者がまず感じたのは、そんないたたまれなさでした。