【ハムカツ太郎さんインタビュー】趣味の「昭和的居酒屋巡り」「ハムカツ巡り」が仕事につながった
>>「はじめて素直になれました」扱いづらい新入社員が改心した一通のLINEメッセージ
コロナ禍が緩やかに終わりに近づきつつある今だが、この3年強を基本リモートで過ごした人も少なくないだろう。特に多感で遊びたい時期に「外に出られない」「人に直接会えない」という我慢の日々を過ごした10〜20代の人たちの気持ちを考えると、心が痛むと同時に、今後はこの3年強我慢した分を思い切り外に出て発散してほしいと思う。
ただし、実際10〜20代の人たちの立場に立ってみれば、また違う感情があるかもしれない。
「人と直接会うのにマスクを外すのがまずイヤだ」
「人と会うのが怖いし面倒臭い」
「スマホがあればなんでもできるし、もう一生人に会わない仕事に就きたい」
そう思うのもまた素直な気持ちだと思うが、しかしここで紹介したい人物がいる。「人に直接会うこと」によって、人生が大きく変わったという原匡仁さんというオジサンだ。現在、東京・竹芝のコミュニティスペース『SHAKOBA』の支配人をしている人だが、まず、「人に会うことで変わった」というその経歴から紹介していきたい。
大手アパレル勤務の一方、こっそり始めた「1人飲み歩き」
原さんは1964年生まれの59歳。大学を卒業後、大好きだったファッションブランドを展開する大手アパレルメーカーに新卒で入社。原さんがアパレル業界に入った1980年代中盤は、「DCブランドブーム」という現象が起こっており、日本発のファッションブランドがカリスマ的な人気を博した時代。丸井や伊勢丹のセールともなれば、徹夜の並びが出るほどの爆発的な人気だった。
その最中に大手アパレルメーカーに入社した原さんだが、盛況の後押しもあり20代の頃からうっすら「自分はこのままこの会社に定年までいるのだろう」と考えていたという。もちろん、「会社での仕事が面白い」ということが一番だったろうが、昭和時代は生涯1つの会社に勤め上げるのが当たり前で、原さんもその通例に従い、そんなふうに考えていたという。
そんな原さんだったが、40代を迎え仕事量的に少し落ち着いてきた頃から、「1人での飲み歩き」を始めるようになった。
オシャレなファッションとはほど遠い「昭和的居酒屋巡り」だが、そこには原さんが子どもの頃に好きだった「ハムカツ」などを出す店も多く、「自分1人の癒しの時間」として過ごし、そしてブログなどで、各店のレポートを伝えるようになった。
実は、それまでの「アパレル」でのキャリアとは全く違う、この「昭和的居酒屋巡り」が、後の原さんの人生を大きく変えることになった。