元夫は“平成三羽烏”。ボクシングジム女性会長が明かす「苦難の乗り越え方」
離婚するも関係性は変わらず
隆人さんの熱心さもあって練習生は瞬く間に増え、ジムは早々に軌道に乗った。しかし、その熱心さに加え、前述したような面倒見のよさ、純粋さがやがて夫婦の間に亀裂を生む。練習生からの相談などに乗るために外で飲食することが増えた。支払いは全額、隆人さん持ち。ちょうど3人目の子どもを出産したばかりの聡美さんには子育てとともに経済的な負担も増した。
「当時はわたしも若く、自分の正義ばかりを押し付けてしまったのかもしれません。今思えば、大きな責任を背負った彼が唯一自分を解放できるのがお酒だったのでしょう。わたしも当時は3人の子育て真っ只中で余裕がありませんでした」
売り言葉に買い言葉のようなやり取りを繰り返した末、2006年、2人は離婚する。ただし、指導は隆人、経営は聡美さんというジムでの二人三脚は変わらなかった。
「彼は、離婚なんて紙きれのことだけで、いまもわたしを妻と思っているようです(笑)。つい先日も電話で話をしました」
隆人さんの病気療養を機に会長になる
隆人さんの身に異変が生じたのは、離婚から1年後くらいのことだ。日本ボクシング協会の理事会の最中に突然倒れ、救急搬送された。しばらくすると何事もなかったように回復したのだが、以後、物忘れのようなことがしばしば起こるようになった、いわゆるてんかんの症状だ。
その頻度はしだいに増し、やがて記憶にも障害が出はじめた。このままでは会長職を続けることは難しいと、故郷・沖縄で療養することになった。問題はジムである。トレーナーはいたものの、会長不在でプロ選手もいるジムを続けることができるのか……。
「ジムを閉めるという選択肢はありませんでした。もともと二人三脚で始めたジム、女だからといって弱音を吐きたくなかったんです。彼が沖縄に戻ったのが試合の2日前ということもあって、バンテージを巻くのもセコンドに付くのも全部自分でやろうと腹をくくりました。自分で思っている以上に負けず嫌いなのかもしれません(笑)」