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菅野美穂、上白石萌音も演じた“将軍夫人”の生涯。気位の高い嫁との反目の果てに

ビジネス

「私とあなたが心中したのだと噂しますよ」

古文書

 さて、その後の篤姫である。彼女は江戸城が無血開城するのが決定したのち、駄々をこねて城から退去しようとしなかったのである。もし城を出たら、国元の薩摩へ送還されるだろうという噂が大奥を駆けめぐっていたからだ。

 このわがままに困り果てた勝海舟は、みずから大奥へ出向いて篤姫に会見を申し入れた。そして海舟が大奥の座敷へ入ると、なんと、懐剣を手にした奥女中たちが六人、ずらりと並んでいて、もし何か言えば自害するぞという気概を見せた。

 仕方なく海舟がそのまま待っていると、やがて奥女中のなかの一人がすっと前に進み出た。それが篤姫だったのである。

 海舟は、江戸城から退去するよう篤姫を説得するが、篤姫が城を出るくらいなら自害するといって聞かない。そこで海舟は、「あなたが自害すれば私だってタダでは済ませんから、その横で腹を切ります。すると、他人はきっと、私とあなたが心中したのだと噂しますよ」、そう語ったのである。

勝海舟と篤姫で続いた“怪しい関係”

 これには篤姫も吹き出し、一気に座がなごんだ。しかしながら、その日はついに説得に応じず、海舟は頑固な篤姫のために三日間大奥へ通いとおして、ようやく納得させたと伝えられる。じつはこの慶応四年四月が篤姫と勝海舟の初めての出会いであったといわれる。

 江戸城を出た篤姫は一橋家の屋敷へ移り、さらに赤坂紀州邸を経て牛込戸山の尾張邸、そして赤坂福吉町の屋敷に落ち着いた。ちなみに江戸無血開城のとき、篤姫はまだ三十代前半であった。どうやら彼女は勝海舟のことがひどく気に入った様子で、その後も互いに贈答品をやりとりするだけでなく、かなり頻繁に会っている

 浅草の高級料理店である八百善や向島の柳屋で食事をするだけでなく、吉原にも出かけていってどんちゃん騒ぎをしたようだ。

 勝海舟の娘お逸が篤姫の屋敷へ遊びに行って、篤姫にアイスクリームをつくってやっており、海舟と篤姫は家族ぐるみの付き合いであって、二人は決して男女のやましい関係ではなかったといいたいところなのだが、その海舟自身がのちに篤姫と屋形船で密会したと書いており、絶倫で愛人をたくさん抱えていた海舟のことである、篤姫と寝室をともにした可能性も否定できない。もちろん、これはあくまで私の想像だが……。

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