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自殺も考えた過去。10万人に1人の難病になった俳優の「絶望の乗り越え方」

暮らし

「最後は絶対笑いに変える」がモットー

――2019年8月に退院して、9月にヘルプマークを取得したんですね。

間瀬

間瀬さんのヘルプマーク(画像は一部加工)

間瀬:はい。例えば僕は、(後遺症の)てんかんなんかで、路上で倒れることがあるかもしれない。その時に、僕が声を出せなくても、ヘルプマークの裏を見れば、僕の名前や緊急連絡先、この人はどういう病気なのかといった情報が書いてある。もしもの時に役に立つこともあるんじゃないかなと思って。

 よく考えたら、「笑っていたい」「みんなに笑っていてほしい」っていう自分の軸は、ブレていないんです。

 泣いちゃっても、怒っちゃっても、苦しんじゃっても、何があっても、起こったことを嫌なまま、辛いまま、悲しいままにしておくんじゃなくて、それを自分のなかで、どうプラスに変えていくかだから。それで、最後笑いに変えられたら、こっちの勝ちだなと思うんで!

 今はとりあえず、「最後は絶対笑いに変える」っていうのをモットーに生きています。

<取材・文/吉河未布 撮影/長谷英史>

【インタビュー後編】⇒うつの限界と手越祐也さんのYouTube。難病になった俳優が「生配信でリハビリ」する訳

【間瀬翔太】
1986年4月27日生まれ。17歳の頃に代々木公園でスカウトされ、後にアイドルグループ「BLIZZARD(ブリザド)」のメインボーカルとしてデビュー。2019年、33歳の時に10万人に1人の難病「脳動静脈奇形」が判明、手術。てんかんや記憶障害といった後遺症に負けず、芸能活動と「難病インフルエンサー」としての活動を両立させている
Twitter:@shota_mase

編集者・ライター。ネットの海の端っこに生きています。気になったものは根掘り葉掘り

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