自殺も考えた過去。10万人に1人の難病になった俳優の「絶望の乗り越え方」
2019年7月、33歳のときに先天性で、10万人に1人のまれな血管の病気である「脳動静脈奇形」と診断された俳優・間瀬翔太さん(@shota_mase)。俳優として、まさにこれからというタイミングで脳出血し、病気が判明した時は、自暴自棄になり、自殺も頭をよぎったといいます。
開頭手術から1年半。「人生観が180度変わった」という間瀬さんは現在、「生きるって面白い」と笑顔をのぞかせます。そんな間瀬さんに、病気が分かった時に考えたこと、変化したこと、変化しなかったこと、そして今大切にしていることなど、〈生きる〉ということについてじっくりお話を聞きました。全2回にわたってお送りするインタビュー。まずは前編をお届けします。
【インタビュー後編】⇒うつの限界と手越祐也さんのYouTube。難病になった俳優が「生配信でリハビリ」する訳
病気がわかり、自殺を考えた
――2021年2月20日に出演したテレビ東京『生きるを伝える』で、「生きるとは人を笑顔にすること」と答えていました。そう考えるようになった、原点のようなものはありますか。
間瀬翔太(以下、間瀬):僕はもともと性格がめっちゃ明るくて、常に笑っているようなタイプ。難しく考えるのが苦手で、笑っていたほうが人生って面白いんじゃないかなと思っているんです。
人に笑っていてもらうことが幸せで、自分も笑顔になれる。そのために生きてきたし、たとえ辛いことがあっても、笑えるように頑張ってきたつもりでした。
でも、急に10万人に1人の病気って言われて、いきなり人生がそこで180度変わっちゃって。あれ? こんなことある?って、根っこから腐っちゃった。頑張っても頑張らなくても、病気になったら終わりじゃんって、笑えなくなっちゃった。
「行き場のない怒りが爆発した」
――人生観が、一度くつがえってしまった。
間瀬:そうですね。脳出血がわかって、最初に頭に浮かんだのは「死ぬの?」ということ。
いったん「点滴で治るかもしれない」とか言われていたんだけど、精密検査を受けているうちに、珍しい病気だということがわかって。専門病院に転院したら、「死にはしない。でも、もし助かっても、20%の確率で、右半身が動かなくなる、目が見えなくなる、記憶障害、てんかん……何にせよ、無事では済まない可能性がある」って言われて。
それを聞いて、もう絶望しかありませんでした。ちょうどその時決まっていた作品もあったのに、これからなのに。何のために僕は頑張ってきたんだ、なんで僕が、なんで今……って、33年間で初めて、行き場のない怒りのようなものが爆発しちゃった。怖かった、悔しかった、めっちゃ泣いてた。
看護師さんがご飯を持ってきてくれた時も、トレイをバーンってひっくり返したり、点滴を抜いちゃったり。初めて本気で、神様を呪った。その時かな、もういいや、100%元通りにならないんだったら、自殺しようと思ったのは。