世の中、顔で判断されるのはなぜ?関西弁ロシア人の回答に納得
自分にとっての「幸せ」を理解する
歳をとるにつれて、回りの態度が変わるギャップに悩んで不幸になる人、十分美人なのに満足出来ず整形を繰り返す人、イケメンが災いして不倫をしてしまう不幸な人……多くの人にチヤホヤされても、多くの人に優しくされて得をしても、不幸な人は不幸なのです。
どうしようもないことで悩むより、容姿では損することを受け入れ、美人よりも幸せになるにはどうすればいいかについて考えた方が良くないですか?「あ~、彼はイケメンだなあ、皆にチヤホヤされて、いろいろ得をしてていいな。でも、僕のほうがきっと幸せだよね」こんな思考になれるといいなと僕は思います。
そのためには、まずは自分にとっての「幸せ」を理解する必要があります。
「あー、幸せだー」って感じるのはどんな時でしょうか。お風呂に入った時、たらふく美味しい料理を食べた時、性行為をしている時、ずっと欲しかった洋服を買った時……いろいろあると思いますが、基本的に「幸せ」とは、満ち足りて満足している状態のことのようです。
「美貌よりしゃべりだぜ!」
そして幸せな人というのは、それらの満足できることが多い人のことを指すのではないでしょうか。あなたはどんなことに満足したいですか? もしも、誰かに褒められたいのであれば、それは「顔がキレイですね」という言葉でないと本当にダメなのですか?
例えば大好きなピアノを弾けることに満足できる幸せな人、人より上手く描ける絵を誰かに褒められて満足できる幸せな人、格好良い車を運転することで満足できる幸せな人、子供の笑顔を見るだけで満足できる幸せな人、その幸せを感じるために容姿なんて必要ないのです。
僕の場合は、相方がいくらYouTubeで可愛いと言われ、注目をされても「まあ僕のほうが話は上手いからな。美貌よりしゃべりだぜ!」と勝手に満足していますよ。何よりも幸せな人っていうのは、自分の身の回りに転がる小さな感謝に気がつけて、満足ができる人なのかもしれません。
容姿で得している人を羨む時間があれば、1つでも今の自分が感謝できることを探してみましょうよ。得することよりも、幸せになることを目指しましょうよ。
<TEXT/小原ブラス>