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職場で号泣した元野村證券YouTuberに聞く「地獄の新人時代と転機」

学び

野村證券時代、デスクで号泣したことも

――野村證券を選んだ理由は?

宋:バリバリの競争のほうがわくわくしたからです。野球部みたいに結果が出なければ2軍に落とされる、そういう緊張感のある環境がいいと思っていました。

 企業説明会に行ったとき、多くの企業が「福利厚生がいい」「上司とも気軽に話せる」そんなことを説明する中、野村の担当者は「やる気のある奴だけ、あとで俺に電話してこい」そんなことを言っていてカッコよかった。早稲田野球部と同じ匂いがしたんです。

――早稲田野球部での経験は野村證券で活かされましたか。

宋:やはりスポーツと営業は全く別物。ただ、野村證券に入社してすぐは自分は早稲田の野球部出身で、「ほかのやつとは全然ちゃうぞ!」と思っていたんです。ただ、いざ営業がスタートすると1日何百件も飛び込んだのに新規獲得がゼロ。周囲の同期は続々と新規のお客様を増やしていく日が続いて、(心が)折れてしまいました。上司に「お前、期待外れだな」といわれた時、デスクで一人、フロア中に聞こえる声で泣いてしまったこともあったくらいです。

――そんな野村證券で4年間勤めた。当時印象深かったことは?

宋:抽象的な話ですが、証券マンは毎日とんでもない数のお客様と「カネがいくら儲かった、損をした」という話をする仕事。人間の欲望が丸出しな場所でした。 私のことを好きだったお客様が、少しの損失で手のひらを反す。逆にどれほど迷惑をかけても、変わらず接してくれる、そんな器の大きいお客様もいました。本当にさまざまな種類の人達に出会えたことはとても勉強になりました。ちょっと偉そうかもしれませんが、人を見る目、嗅覚は身についたと思います。

背中を押してくれる人間がいるか

元野村證券

――現在は生命保険会社のフルコミッションの営業マンになりましたが、暮らしぶりは変わりましたか?

宋:収入は上がりました。年に数千万単位で稼いでいます。ただ、お金の使い方は収入とは逆に堅実になりましたね。個人事業主として働き始めて3年になりますが、右肩上がりで収入が増えたわけではないんです。

 死にかけたこともあります。会社員に戻ろうと思った時もあります。だからこそお金が大事だという現実感が持てました。

――なぜ野村の営業マンから転職することを決断できたのでしょう?

宋:私もそうでしたが、企業をやめるときはめちゃくちゃ怖い。踏み出す時に背中を押してほしい。背中を押しくれるのは結局、人です。友人、同期、後輩先輩、お客様に言われた一言。そこで自分は出ても大丈夫だという感覚になれるのかどうか。

 ちょっと気恥ずかしいんですが、私が野村證券をやめるとき、同期と後輩がお別れ会をやってくれたんです。そこで、ある後輩が「宋さんが保険に行ったら俺たち全員保険に入りますよ」と言って、背中を押してくれた。これがなかったら転職はできなかったと思っています。あくまで私の考えですが、資格を取る、勉強する、そんなものは1ミリも関係がない。それまでの本人の生き方、周囲の人間とどのような関係を築いてきたのかが大事ではないでしょうか。

⇛インタビュー後編<「僕が野村証券を4年で辞めた3つの理由」31歳YouTuberの思考>に続く

<取材・文・撮影/小林たかし>

【宋世羅】
早稲田大学野球部を卒業後、野村證券に入社。4年間の営業マン勤務を経て、現在は生命保険営業マンとして働く。Youtube「宋世羅の羅針盤ちゃんねる」にて保険、株、投資信託、貯金、営業などを、現役のプロとして発信。登録者数は8万人超(2020年7月時点)

フリーランスのライター、主にweb媒体を中心に様々な分野で執筆を手掛ける。守備範囲は広いがとりわけ、変なもの、ことに関する興味が強い。最近の目標はヘビトンボを食べてみること。

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