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年商400億円「巨大魚屋チェーン」創業者に聞く、安さの秘密と苦節47年

ビジネス

「発泡スチロールの魚箱」を日本で最初に考案

角上魚類

角上魚類・柳下浩三会長

――それだけ苦労したのに、後に家業の魚の卸屋さんの経営に陰りが見え始めたと聞いています。

柳下:スーパーマーケットがあちこちに開店した影響で魚屋さんが続々と廃業していきました。うちの家業は「魚屋さんに魚を卸す」のが仕事です。売り先の魚屋さんが減っていったせいで売り上げがどんどん下がっていき、ニッチもサッチもいかない状態に陥ったんですよ。

 他方、この当時はせっかく日本海で獲れた魚も「鮮魚」として流通できるのはたったの2日間でした。そのため、夏場は獲れた魚を焼いて地元で「浜焼き」として販売していました。しかし、1本の魚を焼き上げるのに30分もかかります。さらにパートの人件費もかかります。

 これを効率良くするために、「火のトンネル」という赤外線を両側に立て、自動でトンネルの中を巡回してくる浜焼き機を作りました。この機械で人件費、燃費も4分の1ほどに抑えることができ、なんとか経営の危機から逃れることができました。

 また、当時はスルメイカ漁が盛んで、朝、新潟で港に上がった魚を東京の築地まで出荷していましたが、当時の魚箱は全て木箱だったため築地に着く頃はどうしても鮮度が落ちてしまいます。そのため、私は断熱効果のある発砲スチロールのふた付きの魚箱を開発して築地の市場に出荷しました。鮮度を保ったままのイカは、従来の木箱の3倍の高値で売ることができ、これも経営の危機から逃れられたものでした。

――今では当たり前の魚を入れるための発泡スチロールは、柳下さんが最初に考案したということですか?

柳下:そうです。発泡スチロールの魚箱を最初に作ったのが私でした。

スーパーマーケットの魚は3倍以上の値付け

――一般向けの魚屋さんとして角上魚類をスタートさせた経緯はなんだったのでしょうか。

柳下:魚屋さんが続々と閉業していく中で、スーパーマーケットに私も行ってみることにました。スーパーマーケットの生鮮食品売り場には、魚も並んでいますが、その値段に驚きました。

「なんでこんなに高いんだ」と。私は魚の原価がわかりますが、2~3倍以上の値付けで売られているわけです。そこで思ったのは「もし私が魚の小売り(魚屋さん)をやるのだとしたら、この3分の1の値段で売ることができる」ということでした。

 魚の卸屋は、家業の手伝いでしかないから経営は無知でしたけれど、「安く良い魚を並べれば、売れるだろう」という思いだけで、銀行から5000万円借金をし、地元の新潟・寺泊の砂浜の中に建物を建てて、「角上魚類」という看板を掲げて、初めて魚屋を始めました。全く不安がなかったわけではないですけど、今思うと無謀ですよ。人口6000人の小さい町の砂浜にポツンと魚屋を出すなんて(笑)。

角上魚類

新潟・寺泊の海岸。砂浜の中に、角上魚類の1号店がオープン

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