映画『100日間生きたワニ』叩きやすいものを叩いて嘲笑うネットいじめへの激しい怒り
意義のある作品だったと信じたい
予想はしていたが、『100日間生きたワニ』の興行成績はとても厳しいものとなっているようだ。原作のプロモーションの炎上や、悪意に満ちたバッシングムードと関係なく、新型コロナウイルスの感染拡大と映画館の再休業による公開延期、同時期の『ゴジラvsコング』や『ブラック・ウィドウ』や『東京リベンジャーズ』などの話題作の上映、上映時間が63分と短いのに通常料金である強気さ、そもそもの「劇場で観たい」と思えるほどの訴求力がなかったなど、不発の理由はいくらでもあげられる。商業的にはどうしたって「失敗作」だと語られてしまうだろう。
だが、筆者は『100日間生きたワニ』が作られたことには、とても意義があると信じたい。これまで書いてきたように、本作は事実がどうあれ叩きやすいものを叩いて嘲笑するネットいじめが、1年以上経ってからも苛烈に起こることを知らしめた一方で、その空気はたくさんの誠実な意見により変えていけることも証明したのだから。ネットの悪意が強い一方で、善意の強さもまた知らしめたと言えるのではないか。
何より、筆者自身の主観ではあるが、作品自体は映画化自体が無謀と言える企画に対して、これ以上ないほど誠実に作られていると思えるものだった。詳細はネタバレになるので控えておくが、映画のオリジナル要素は「死を蔑ろにした」原作のプロモーションの大炎上をメタフィクション的に捉えた「アンサー」とも言えるようなものでもあった。何より、「誰も否定をしない」優しさに溢れたメッセージは、一生大切にしたいものだったのだ。
また、見放題の配信サービスに入れば、元々のネットでの話題性もあってかなりの視聴数が見込める可能性もある。個人的には「間」から観客がキャラの感情を読み取っていく面白さもあるため、画面に集中できる映画館で観るバリューもあると思うので、今からでも気が向けば観てほしいという気持ちもある(その価値はなく配信を待った方がいいという意見もある)。
そして、映画『100日間生きたワニ』にまつわる今回の騒動が、ネットいじめの問題と、批判(批評)との違いについて、考えるきっかけになれば、と願わずにはいられない。
<TEXT/映画ライター ヒナタカ>