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阪神のピッチャーから驚きの転身。「日本一不器用な俳優」の人生を変えた出会い

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鍼灸師か整体師の道に進むつもりが…

 そして、右肘の故障から復調できないまま、震災翌年の1996年シーズン後に戦力外通告を受けた。

「本来だったら、もっと早く戦力外になっても仕方がなかった。ケガも実力のうちですし、努力も足りていなかった。回復を待ってくれた球団には感謝しかありませんでした。でも諦めきれない思いがあり、近鉄とヤクルト、台湾の球団のテストを受けましたが、それも全部落ちて、引退を決意しました

 漠然と引退後は「ケガで苦しんだので、鍼灸師か整体師の道に進もうか」と考えていたが、またしても奇縁が人生を意外な方向に進ませることに。運命を変えたのは、2人の映画監督の思いがけない言葉だった。

 1人は“喜劇映画の名手”として知られた故・瀬川昌治監督。熱烈なタイガースファンの瀬川監督と親交があり、引退の報告をしたところ「嶋尾くん、次の仕事は決まってるのか? まだだったら、顔の広いおばちゃんがいるから一度会ってみろ」と言われた。その女性が現在の所属事務所の社長で、すぐにスポーツキャスターとしてテレビとラジオ番組のレギュラーが決まった。

名監督の一言で俳優になる道を決断

嶋尾康史さん

 仕事は順調だったが、嶋尾さんは「大した成績を残せていないのに、エラそうに野球のことを語るのはおかしいんじゃないか」と密かに悩み始めていた。そんな時、再び人生を大きく変える出会いが訪れた。

 それがもう1人の監督、数々のNHKドラマの演出を手掛けた故・深町幸男監督だった。

 スポーツ番組の打ち合わせで事務所に寄った際に、俳優のワークショップの準備で訪れていた深町監督に「ちょっとこのセリフ言ってみてよ」と声をかけられ、言われるがまま芝居をしてみたところ、「きみは役者をするべきだ!」と絶賛された。新たな道を模索していた嶋尾さんにとって、その言葉が以降の人生の決定打になった。

 深町監督が演出した1998年放送のドラマ『魚心あれば嫁心』(テレビ東京系)でデビュー。以降はスポーツキャスターの仕事は辞退し、俳優業だけにまい進した。慣れない現場で大物女優の足を何度も踏んでしまったり、十数秒のシーンで15回もNGを出したことも、仕事が3か月間ない時もあった。

 それでも野球とは違う道を見つけたい一心で、不器用ながら懸命に芝居に打ち込んでいると徐々にオファーが増えていった。しかし、嶋尾さんが頑なに断り続けた役柄が1つだけあった。それは野球選手の役だった。

「どこかで中途半端に終わった野球から逃げたい気持ちがあったのだと思います。スーツ姿の野球選手役などはやらせてもらいましたが、ユニフォームを着る役だけはお断りし続けていました

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