親に不満がある20代に伝えたい、私が父の葬式で体験したこと/小原ブラス
どんな親が、立派な親になるのか?
20代や30代の子供に対しては自信を持たせてくれる親、肩をポンと押して見守ってくれる親というのが「立派な親」なんじゃないか。自信を失わせるようなことを言うなよ、あなたとは違う時代と価値観の中で生きてるんだよ。そんなことを言ってケンカしたくもなります。
僕はアグレッシブに意見を言ってしまうタイプなので、「好きでもない人と結婚するくらいなら生きていたくないし、今、好きなのはこの男だ。ヤルことだってしている!」とまで言って母の話をハッキリと突っぱねてしまったことがあります。
さすがにそこまで言われると、母としても自分の生きる世界や感覚との違いが大きすぎて、自らの経験から幸せになるためのアドバイスは何もできないと思ったのでしょう。それ以降、結婚について話題に上がることはなくなりました。
僕の場合は強い口調で反抗をして無理やりに、この干渉を抑えたのですが、今では正直そのことを後悔しています。
それは、親に心配をかけず自立して生きる子供が「立派な子供」、それを温かく見守れるのが「立派な親」だという価値観も僕の勝手な思い込みだったからです。
何気ない一言に母が見せた「反応」
昨年、僕の父が癌で亡くなり、東京から実家に帰った時のこと、葬式の夜に母が弱音を吐いたことがあります。父なき後の生活について家族で話したことがきっかけでした。実家には父と、父の看病をする母、そして僕の弟が3人で暮らしていました。
何気なく僕が「寂しくなるね」と言った時に、母は「(弟と)2人でも寂しくないわよ。大丈夫」といつもの強がり。そんなことを言えば、弟が自立し辛くなるのではないかと思った僕は「弟ももう大人なんだからいつ出て行くか分からないでしょ」とお節介で言い返してしまいました。
その時にいつも強がって涙を見せることのない母が、ポロポロと溢れる涙を隠せなかったのをよく覚えています。「いつまでも私の心は20代、30代の気分なのに、気がついたらすっかりおばさんになってしまったわ。もう皆自分で生きていけるもんね」そんなことを言っていたと思います。
僕たち子供を育て、その後は父の看病をひたすらし続けていた母にとって、「私がいないと生きていけない人」という存在がいなくなったことを実感した瞬間だったのだと思います。