うつの限界と手越祐也さんのYouTube。難病になった俳優が「生配信でリハビリ」する訳
2019年7月に脳出血し、「脳動静脈奇形」と診断された俳優・間瀬翔太さん(@shota_mase)。一時は自殺を考えたことも……。
全2回のインタビューの前編では、病気が分かった時の心境や、ひっくり返った人生観の変化など「生きる」なかで考えたことを、じっくり語ってくださいました。
後編では、コロナ禍でのまさかの「別れ」と「出会い」について――。うつの限界まで落ち込み、パニック障害を併発。ぽっかり空いた心の穴を救い、背中を押してくれたのは、ふとした時に見た手越祐也さんの姿でした。そして生配信では、ファンと「リハビリ」。新しいさまざまな「出会い」について、お話を聞きました。
【インタビュー前編】⇒自殺も考えた過去。10万人に1人の難病になった俳優の「絶望の乗り越え方」
「うつ」と「パニック障害」との戦い
――病気になってから、人生観や人間関係など、「世界が180度変わった」とのことでした。そのなかでも、印象的なできごとはありますか。
間瀬翔太(以下、間瀬):僕は17歳の頃にデビューしたアイドルグループ(BLIZZARD)が20歳頃に解散した後、うつを発症して。その後、20代後半にパニック障害の可能性を指摘されたこともあったんです。病気がわかって、久しぶりにうつとパニック障害にみまわれました。
そして、退院後もそれは続いていて、入院中以上の戦いでした。
実は毎日やっている生配信の最中や配信を終えた後も、ずうっとうつ状態のことがあって。手術が成功して、よし、またここから頑張るぞ、という再スタートだったのに、辛いな、悲しいな、いつになったら僕は病気から開放されるんだろう、というマイナスの思いに襲われることもあったんですけど……。
とどめが、三浦春馬くんの自殺でした。
三浦春馬さんの死で「限界」になって…
間瀬:春馬は、僕がデビュー前にストリートダンスをやっていた頃、彼もストリートダンスをやっていて、「メインストリート」っていうユニット紹介サイトでつながっていました。
春馬が14歳の時から知っていて、活躍する姿をずっと見てきたのに、僕がてんかんで発作を起こして入院していたとき、アイツが自殺した(※2020年7月18日)っていうニュースが入ってきて……。
その時、僕の中で何かが「プツン!」って切れちゃった。うつの限界まで落ち込んでいたタイミングでもあって。お父さんからは、もう配信も限界だな、やめな、もう何もしなくていいよって言われていた時、アイツが死んじゃって。
――病院でニュースを聞いたんですね。
間瀬:はい。ひたすらにびっくりでした。だって……僕にとってアイツはアイドルで、先に俳優になって……。後から僕も俳優として活動を始めて、共演できたらすごいなと思っていたら、僕が病気になって。生きて頑張ろうと思っていたところだったのに、もう一生叶わない夢になっちゃった。嘘だろ、死ぬんかーい!ってツッコみたいくらいの感じでした。