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「早大3羽ガラス」だった西武・大石達也が引退。野球の歴代「3羽ガラス」の現在

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 10月3日に引退を発表した、埼玉西武ライオンズの大石達也投手。2010年のドラフト会議において6球団から1位指名を受け、大きな話題となったことは記憶に新しい。

「早大3羽ガラス」と呼ばれ、斎藤佑樹(北海道日本ハムファイターズ)、福井優也(東北楽天ゴールデンイーグルス)とともに活躍が大いに期待されてのプロ入りだった。あれから9年が過ぎ、それぞれがプロでの足跡を刻むも、大石はユニフォームを脱ぎ、斎藤、福井の両投手もベテランとしての立ち位置を迎えている。

大石達也

※画像は公式サイトより

「3羽ガラス」そして「ビッグ3」。1つの集団や世代の中で特に優れた3人のことを指すこれらの表現。しかし、輝かしい実績を携え、プロ入りを果たした若きプレーヤー3人全員が、華やかなキャリアを築く極めて稀だ。

 スポーツライターの佐藤文孝氏が、過去から現在まで、各時代の「3羽」で括られた実力者たちを振り返る(以下、佐藤氏寄稿)。

昭和年代屈指の「法政3羽ガラス」

法政大

『若き日の誇り ~法政大学野球部黄金時代~ 松永怜一、田淵幸一、山本浩二、山中正竹』(スポーツニッポン新聞社)

 1968年のドラフト会議は「法政大3羽ガラス」が主役となった。「Mr.赤ヘル」と呼ばれ大卒で史上唯一人、500本塁打を記録した山本浩二、阪神の主砲として本塁打王のタイトルも獲得した田淵幸一は、いずれも選手のみならず、監督としての実績も積み上げた。

 もう一人は南海ホークスに内野手として入団した富田勝。山本、田淵のような突出した実績はないものの、プロでは13年のキャリアを歩む。ホークス入団2年目には全試合出場を果たし、23本塁打を放つなど当時の選手兼監督だった野村克也らとともに打線の軸としても活躍した。

 その後、富田は巨人、日本ハムなどのユニフォームを着る。日本ハムへのトレードでは張本勲の交換要員(2対1)となったことが、その実力の高さを物語っている。大学時代から守備の名手としても鳴らし、プロでも数多くのポジションをこなした。

 山本、田淵との3羽ガラスは昭和のプロ野球を彩った、まさに同じ釜の飯を食った仲間でもあった。

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